その草の根による反戦の機運を盛り上げるにはデーターが必要不可欠である。データーなくして物事は動かない。切実感も生まれない。これは私が仕事で得た経験則でもある。今に見るコロナ禍はそれをよく示している。
この稿を書いている令和三年一月八日現在、全世界の感染者は八八〇六万四〇九人。死者一八九万八七五五名。日本の感染者二七万三一五四名。死者三九三二名。当然のこと国別にわかる。日々に変わるデーターが人々に新型コロナの脅威に切実感を与え、対策の原動力になっていることは論を俟たない。
第二次世界大戦で亡くなった人々は、ウィキペディアによれば軍人・民間人併せて五〇〇〇万~八〇〇〇万とされ八五〇〇万とする統計もある。疫病も怖いが人災は比べようが無いほどに恐ろしい事がよく判る。
言い換えればこれほどの死者が出たにもかかわらず百万単位でしか把握されていない。第二次世界大戦以降の数々の紛争による死者数も、当事国のデーターとなり世界市民の知るところでは無い。軍需産業は戦争反対の世論の盛り上がりを嫌い、その影響下にある政府も積極的に公表しないに違いない。
そもそも国連は紛争予防が主たる目的で設置されたとは言え、国際連盟同様紛争の予防に成功した事例など皆無に近いのではなかろうか。寡聞ながら国連が紛争による死者数さえ日々報道していることを聞いたことも無い。国連の五〇以上を数える機関にもそれと思しきものは無い。
私はコロナ禍終息の暁には、紛争死〇を共通目標として、各国同意のもとに死者数・難民数をコロナ禍と同様に毎日世界各国で報道する仕組みを作るべきだと考える。