【前回の記事を読む】生まれた時から心疾患…娘を外に出せない母を救った「医師の一言」

1章 生まれてきたのは、心疾患の赤ちゃん

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「ひーちゃん、ピアノやってみたい?」

「やりたい!」

4歳になる年、私は習い事を始めた。週に1回30分ほどの、ピアノ教室での幼児グループレッスン。時間も、人数も、集団生活の第一歩にはぴったりな環境だ。

最初は、みんなで歌を歌ったり、音に合わせて体を動かしたり、いろいろな楽器を鳴らしてみたり、音を楽しむようなレッスンから始まった。同い年くらいの子がほとんどで、友達もできた。

発表会ではみんなでお揃いのバンダナをつけたり、先生が代わる日にはお花をプレゼントしたり、習い事と呼ぶのはもったいないくらいに賑やかな教室で、私は音楽が好きになった。

「姫花は、心臓の病気があるからみんなよりできないことが多いかもしれない。だからその分、ピアノとか、普通の人よりもできること、得意なことがひとつでもあったらいいなって思ったんだ」

いつの日か、父がそう言った。

 

そろそろ次に進んでもいいかもしれない。母が考えたのは、障がい児も受け入れているという近所の保育園。ここなら私も入れてもらえるかもしれないと、ドキドキしながら見学に行った。あたたかみのある木の色が印象的な園内に入り、体のことを少し話すと、園長先生はとても優しく迎えてくれた。

「お母さん、大変だったね。よく頑張ったね」

ふと、肩の力が抜ける言葉だった。外に出て冷たい目を向けられることはあっても、そんなことを言ってくれる人は今までいなかった。母の目から、涙がこぼれた。

4歳で始まった、私の保育園生活。まずは一時保育から少しずつ通うことになった。見たことのない手作りのおもちゃも、園庭にある大きな遊具も、全部が新鮮で、行かなくていいと思っていた保育園は楽しいところだった。

「きょうはほいくえんのひ?」

朝起きると、母に聞くのが習慣になった。