【前回の記事を読む】ごめん…と思いながら顔面にパンチ!15秒の凄まじいタイマン
新生活と再会
おはようございます。しめさんです。どこまで書いたんでしたっけ……あっそうだ、海員学校の話でしたね。
2年生の生活も終わり、もうすぐ卒業式。親友のM君とN君は3年生に進級しなかった。卒業の日、教室に座り待機していた。やはり進級しないGTが「さびしいよ!! 」と言った。残された僕らはもっとさびしい、辛かった。涙を必死に堪えたのを覚えてる。結局、10数人が3年生に進級する事となりました。
3年生になると、静岡県にあるS海員学校と香川県にあるA海員学校から、両校合わせて10数人編入してきました。A海員学校の生徒は廃校のためでした。3年生になる時、教官が
「お前ら班室の学年の振り分けはどうする? 」
と言って、僕ら3年生はみんなで話し合い、
「2年生とは同じ班室になりたくないです」
と教官に言った。
1年生と2年生が同じ班室、3年生は3年生だけの班室になる事となりました。
新しい3年生制度、T海員学校、本科1期生の始まりでした。ほかの海員学校から来た生徒たちは、みんないい人ばかりでした。ちょっと言葉の壁がありましたけどね。
3年生になると、しばらく何事もなく毎日を送っていました。そんな時、M君とN君が、軽のワンボックス、スバルのサンバートライに乗って、学校まで遊びにやってきました。どうやらM君とN君は、スケボーを持ってアメリカに行ってきたらしい。M君は、アメリカでプロスケーターになると言っていた。アメリカに行ったら、「スシ」、「テンプラ」などと言われたみたいだ。そんな話を車の後ろに6人、すし詰め状態で朝まで語り合った。
次の日、軽ワンボックスで鴨川にサーフィンに行きました。海は凪ぎ、サーフィンができる状態ではなく、何もする事がなくなった。
すると駐車場でN君が「運転してみる?」と言ったので、僕は運転してみた。エンストはしなかったものの、ガクンガクンと車がノッキングを起こしてしまった。当時はマニュアルが主流だったため、初めての運転は難しかった。それから学校まで送ってもらい、M君とN君とバイバイした。免許を取ったら絶対ワンボックスカーに乗ろう、そう思いました。
幼い時、大人の人が運転してくれている姿ってかっこよかったですよね。自分も運転している姿を想像したりして、早く免許が欲しかったです。少し疲れてきました。あんまり我慢してしまうと、またうつ状態になってしまうので、休ませてもらいますね。また後で。