はじめまして ― 私の歩んだ道が少しでも誰かへのエールになれたら…… ―

私が自分史を書きだしたのは、53才の頃……。継母が老い、養母が老い、何かと関わり方が変わり、当たり前のひとつずつが「私の心と体」に隠れていた古い記憶を現実にした。

その頃の私の身近に居た(ほとん)どの人は何故か孤独なのだ……。そして多分、私が一番孤独だった。その痛い程の孤独が私に目をそむける人であっても「自分と同じ想い」をさせたくなくて振りほどかれていても……気付くよりも“離れずいる”ことを選ばせた。

その結果は……離れずにいた方が良いとか、間違いとかでは無く、やっぱり初めからの継母で有り、養母は養母のままで(えにし)はつながっていても……彼女達に求めた絆は遠いまま。継母を看取り、養母には「娘」として抱かれることも無く……私は77才に成る。

残る余生、私に出来ることが有るとしたら……一日でも早く「今有る痛みから飛び立ってほしい」、それを成せるためにはどうすれば良いのか……私の執着の愚かさがたとえ一人の方にでも役に立てたら……と願いました。そして自分に憶えの有る出来事に気付き、私に為された救いが満ちてほしいと願いました。

人は(もろ)い、たった一度の暴力で、たった一度の(ののし)りで、生涯打ちのめされるのも現実。それは「涙が涸れる程泣けば……」なんて嘘と思ったりする……。一粒の涙さえ流さない、自らの心と体で()きとめる。一粒流せば壊れてしまう……私がそうだった。そして殆ど全ての「yakara」は深呼吸する間も与えず加害者で有りつづける。私達が自ら立ち上がれるまで、加害しつづける……。

長い闇を抜け出せて「幸せ」と云う灯りに辿り着くことで「人生の帳じりを合わせられる(とき)」に恵まれてもそのことは消せない、歩んだ人生の記録なのだから。断りもなく、突然ゆれる地震のようにフラッシュする。答えは出てる……yakara に勝るのは、清々しい優しさ、我知らず宿る人の強き魂。

貴方もきっと出会えるその人に……その灯りをつないで、次の灯りをつないで……生きなきゃ! きっと人生の帳じり合うんやから。心の壊れた「人でなし」に出くわしてしもたら“サヨナラ”せなアカン!

yakara はyakara で、人生帳じり合わす……のがこの世の運命(さだめ)と信じます。嬉しい時こそ泣ける今に辿り着く迄の私を読んで下さることに感謝致します。