次の年(二〇一五年)の夏でした。二男が呼びます。二階へ上がっていくと知らない曲がプレーヤーから流れてきました。少し弱々しいけれど息子のやわらかい声です。ちょっと笑って「できたんや」と言いました。私はすぐには飲み込めませんでした。
『自然と行進』という歌だと教えてくれました。静かに明るく流れる木琴の音色に、社の森で風景に溶け込んでいた息子の姿がまず重なりました。歌が始まると、下河原の栃林で、竹の子林で、奥屋敷の柿畑で、ガレージや西の納屋で……作業したり休んだりする姿が、次々と浮かんできました。新しい息吹のような歌でした。
「♪……弱音が吐けぬ弱い自分が 確かな一歩を踏み出した……♪」
こんな歌詞が耳に入ったとき、ハッとしました。二男は自分自身を分かっていたのだと思いました。だから「へこたれない子」だったのかと、今まで気づけなかった息子の「悲しい強さ」に、私は胸打たれました。人はやせ我慢と言うけれど……。
しばらくして、二男は高校時代の友人を誘い練習して「ライブスペース勢の!」に出ていきました。やっと踏ん切りがついたのでしょうか、一一月、四年目にして自分のキーボードを買う決心をしました。山で出会った朋友のムササビ、取れたサツマイモをネズミから守る攻防、冬を超えて春を待つ花たち……二男の生活から歌が生まれていきました。
ユーモア一杯の吉田さんは、適切な距離感で接してくれます。もう一人のお父さんのように二男を見守り、相談に応じ、一緒に活動をしてくれています。判断ができずあれこれ迷う言動も、突拍子もない言動も、承知の如く個性として受け止めてくれたり流してくれたりします。
夫が翌二〇一六年から、先に書いたように入院に入りますが、その年に再入院し、次の二〇一七年には癌の手術、翌年に再発という厳しい状況を一つずつ超えてこられたのも、吉田さんに導かれながら二男が再出発―いいえ新たに出発していく音楽活動を、夫自身も見に行きたいという願いがあったからだと思うのです。
繭を破った二男は、病前に戻るのではなく、別の蝶になっていくようです。だからこそ必要なのは、夫や吉田さんのような自由な愛だと思うのですが、どうも私の方は、縛る愛?(こうなったら愛とは言いませんね)のようです。