あの空の彼方に

玄関から入って廊下をまっすぐに進むと建物の奥──道路とは反対側の山々の見える方に、浴室、隣に台所兼食堂、更に隣に夫婦の寝室が続いて横並びにあり、寝室の隣の道路側に居間、居間の左隣に透君の部屋、そこに隣り合って玄関側の部屋が、私がよく使わせて貰う部屋になります。

山々が見える、傾斜のある方向の部屋や浴室の窓からは全て、窓枠がまるで額縁の代りのようになって、樹々と山並と空だけが見え、それは一枚の絵のように見えるのでした。

その窓から臨む谷には、対面の山々から降りてくる雲が雲海となり、谷全体に広がることがありました。夜は梟のホーホーと淋しげな声、早朝には啄木鳥(きつつき)の木を突く音が木霊するのでした。

この別荘には昔からよく連れてきて貰っているのですが、村上夫妻は、蕨の季節以外は山の頂の場所に行くよりも、ゆっくりと温泉に浸っていたい様子でした。

私はといえば、何といっても、山の静けさや、清澄な空気、美しい花や樹、小鳥の(さえず)りや風のざわめき、青く高い空、などに会いに、別荘に来た時には必ず歩いてくるのでした。

そして、その時には常に、村上家の一人息子である透君も一緒でした。

彼は自然が好きですが、生きものが好きで、幼い頃に、小さな緑色の蛙を素手で捕まえて、両の掌で塞いで、人の目の前まで持ってきて蓋をした上の掌を開いたりするものだから、蛙がピョンと飛び出て、それが此方に向かってきたりすると、悲鳴に近い声を上げて私が逃げるものだから、面白がって、再び捕まえて追ってきたりするのでした。子供の金蛇を捕まえて持ち帰り、家の中で逃げられたりするものだから、大騒ぎになったり。私には、虫や蛙やトカゲの類を素手で触るなど、どうしても出来ないのですが。

風が草木を揺らす音のするだけの静かな場所なのですが、雨上がりにうっかり来てしまい、足下を見ると五十センチメートル程の蛇が何匹も日向(ひなた)ぼっこをしていて、悲鳴を上げて逃げていると、透君が「あの蛇は毒がないので、怖くはないよ」と教えてくれるのでした。

透君の小学校低学年の時の夏休みの工作は、此所で拾った木の実や枝を使ってのものが殆どでした。

秋の日には、虫を捕えようと繁みに入り込んだ幼い透君が、全身草の種だらけになって、泣きそうになっているのを、櫛で梳いたり、一つひとつ手で取って大変な思いをしました。

四人で蕨採りにやってきて、蕨採りに夢中になり、気付くと透君が行方不明で、蕨など放って、三人で息を切らしながら、別々の方向に走り回り、ようやくのことで見つけることが出来たのでした。