【前回の記事を読む】前例のない人事による抜擢!型破りなドキュメンタリー番組の制作へ
宇宙飛行士と一緒に無重力飛行を体験
私がオリコン・カメラに最も期待したシーンは日本のテレビで初めて撮影することになった無重力状態であった。
このシリーズは30分の番組8本だが無重力飛行を軸に構成したのが「地上の宇宙旅行」である。その要旨は「宇宙飛行士のようなスーパーマンでない普通の健康な人間なら将来、宇宙旅行が可能かどうかを確かめよう」とした番組である。
背黒団長をさながら実験モルモットに、アメリカの宇宙船と同じ三分の一気圧の宇宙室の中で生活したり、宇宙服を着て、宇宙食を味わったり、月旅行に欠かせない他の宇宙船とのドッキングの訓練までも試みた。
しかし地上ではどうしても再現ができないのが無重力状態の体験である。そのためにNASA(アメリカ航空宇宙局)では、大型ジェット機の弾道飛行により無重力状態を作り出して宇宙飛行士の訓練をしていた。
当時、無重力実験機はボーイング707旅客機の空軍版であるKC―135型機で、アメリカにも一機しか無かった。オハイオ州デイトンのライト・パターソン空軍基地の駐機場にKC135型機がずらっと並んでいたが無重力実験機は一見してすぐ分かった。機首に無重力飛行の説明図が書き込んであったからである。
実験機はまずエンジンを全開にして45度の角度で急上昇する。そして四つのエンジンを全て止めてしまう。すると実験機は、まるで投げたボールと同じように放物線を描いて自由落下をはじめる。その時、飛行機の上向きの力と、下向きの地球の引力とがちょうどつり合うから、実験機の中には無重力状態が生じることになる。
1966年の4月12日。朝から小雨模様。出発予定の13時を過ぎてもいっこうにその気配がない。大型旅客機で45度の急上昇や急降下の曲芸飛行をするのだから雲の中では危険すぎる。待機室の兵舎の片隅にマットを敷いてもらって横になる。しかしとても眠れない。心臓の鼓動がいやに気になる。突然どかどかっと足音がすると実験機の機長クイック少佐が急ぎ足で入ってきて叫んだ。
「今降りてきた僚機の報告で、高度七千メートルと一万メートルのところに雲の切れ間があることが判明、すぐに出発」
午後の3時を15分過ぎていた。機内には何もない。椅子もなければ棚もない。窓さえない。まるでトンネルの中にいるようだ。機体内部に激突した時ショックを和らげるマットを張り詰めたトンネルだ。エンジンの音に気づいた時にはもう滑走を始めていた。あわてて床にしがみつく。
離陸して20分もすると、体がすっと谷底に引き込まれるような気がし始めた。もう始まるのかと思ったら、急に漬けもの石を持たされた時のように体が重くなった。とても立ってはいられない。実験機は急降下から急上昇に移ったのであろう。急激なG(重力)がかかって体重が2倍になった計算になる。へたへたと床に這いつくばってしまう。
起き上がろうと思って、満身の力をこめてみるが、びくともしない。もうどうにでもなれと、逆らうのをやめて腹ばいのままじっとしている。突然「ブ・ブ・ブー」とブザーが鳴って機内が明るくなった。宇宙飛行士が味わうのと同じ無重力状態が始まるのだ。