【前回の記事を読む】「忘れたいこと」を包み込む…カーネーションにまつわる思い出
第一章 春
タンポポ
♪『田園』(玉置浩二)
昭和以降、最も歌のうまい歌手は誰かについて、ある評論家が言及し、女性では断トツ美空ひばりだが、男性は決められないと結論づけている。
ナンバーワン男性歌手候補に、玉置浩二を入れてみたらどうだろう。安全地帯として活動した時期も、ソロ活動する現在も、歌のうまさはピカイチと思う。
玉置が作詞作曲した楽曲は数多いが、1996年に放送された「コーチ」というテレビ・ドラマの主題歌だった、『田園』を聴こう。アップテンポの心弾むリズムで、小気味良く、エネルギッシュに歌う。人は皆、違う方向を向いて生きているけれど、何かを頑張っていればいいんだ、がこの三分半程の歌のメッセージだ。言わば、群像劇の短編小説だ。
タンポポがなぜ『田園』と結びつくのか。僕と君とあいつとあの娘と、そしてみんながこの劇に登場する。その中の、「あいつ」がタンポポを飾る。空の牛乳瓶に。殺風景な部屋で暮らしていれば、タンポポがあるだけで、派手やかになる。踏まれても立ち上がる、生きる意欲が詰まった健気な花だ。エネルギー溢れる鮮やかな黄色は、疲れた体を優しく癒すに違いない。
クラシックの大御所、ベートーベンにも『田園』という楽曲がある。交響曲第六番で五つの楽章から成り、約44分の、言ってみれば、こちらは長編小説だ。場面設定も、起承転結も見事に構築された、楽器で奏でる小説である。
玉置の『田園』との共通点を探してみる。第一楽章の「田舎に着いたときの愉快な気分」と、第三楽章の「田舎の人々の楽しい集い」に、精神の高揚状態の同類項があるものの、飽くまで断片で、両者は独創に富んだ作品だとわかる。
とまれ、二つの『田園』を、南アルプス山麓のタンポポ咲き乱れる晴天の野原に寝転がって聴けば、一瞬のパラダイスに浸れること、請け合い。願わくは、タンポポの群生に所々カーペット状の白いクローバーがあること。
だが、小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてくるのを期待してはいけない。ベートーベンの『田園』の第二楽章、「小川のほとり」のお膳立てが完成し、ベートーベンに肩入れしてしまうことになるから。