プサンを出港した船は二十時間をかけて神戸に着いた。

『二十五年振りの日本か……。変わっているだろうなぁ』キラキラとした春の海。数十羽のかもめが、自分を迎え出てくれているかのように舞っている。「母」と「すず」それにまだ見ぬ子供。堅固でいるだろうか。無事ならば自分が漂流した年齢と同じになっているだろう。あの可愛い妻も五十歳近くになっているはずだ。母は生きておられるか……。感慨に浸る。

初めて見る神戸の町。空爆の爪跡から十五年をかけて、街はほぼ復旧していた。

『うーん。すごいなぁ。これが日本、神戸か』益田という田舎しか知らない弘はカルチャーショックを受けていた。そんな間はない。早く故郷へ帰って、生き別れた家族に会わなければ……武が十年前、汽車に揺られて益田―山口―広島―神戸と辿った行程を、弘は逆に、此処から故郷益田へ向かう。運命としか言えない。

左車窓に青い穏やかな春の海を見ながら、汽車はひたすら西へ。

『父は生きていたのだろうか。そして今でも堅固でおられるか。齢七十四になられているはず。母は七十二歳のはずだが……山には木の葉が多く芽吹いているだろう。天ぷらにしたいものだ』

広島駅で連結作業のため五十分停車するとの案内があった。朝一番で神戸を出発して、六時間は経っているから腹も減るはずだ。何か詰め込んでおかなければ。年配の弁当売りの方に声をかける。

「すみません。弁当お願いします」

「ほいほい、ありがとう。これで良いかの。五十円じゃ。今日は天気が良うて……旅の空かのー」

「あ、いえ、二十五年振りに里へ帰るところです」

「まぁーま、そうかえ。どちらじゃ? 家族がおりんさるんか?」

「はい。益田の飯浦(いいのうら)という漁村ですけぇ。たぶん皆元気じゃと思うんですが」

時間はたっぷりあったので、弁当売りのおじさんと少し立ち話をした。

「そうですかいのー。気を付けて帰りんさいよ。今頃は景気もええけ、仕事は心配ないと思うんじゃ。頑張りんさい」

「ありがとう。おじさんも元気で! では」

軍帽を真直ぐにかぶり、少し汚れた白いタオルを首に巻いた弁当屋のおじさんは、左手を軽く上げて見送ってくれた。暫くして汽車は発車する。ポケットに突っ込んでくれた生温かいお茶を取り出し、飯にありついた。

山口駅まで二時間、四十分待ち合わせて、山口線で益田まで二時間である。朝五時の始発から十二時間をかけての行程だった。山口から益田までは、山間の川を縫うように橋が架かり、野においては田畑を分けて線路が敷かれている。その中を、それはゆっくりと進むのだ。

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