帰宅して顔を洗い、歯を磨いたあと田所さんにラインで確認した。ついでに結婚歴など気になっていたことも聞くと、バツ二、子どもは八人という数字に目を疑う。
年齢は騙されていたが大した事はない。けれど結婚歴と子どもの数に関しては正直、私の人生経験ではまだ未熟すぎて受け入れられなかった。そりゃ、あそこまでの包容力が仕上がるってもんだと呆れもした。
意外だったのは想像を遥かに超えて傷ついている自分がいた事。好きだという気持ちも、田所さんの良いところも変わらない。変わったのは事実を知った後の私の気持ちだけだ。
田所さんにはなんでも打ち明けられる関係を築いていたため、悶々としているこの気持ちを素直に打ち明けた。田所さんは精一杯の言い訳と事情、どのくらい私のことが大切かを丁寧に言葉にしてくれたので、この話は解決となって終わり、私たちはさらに仲を深めていった。
卒業制作の提出が三か月を切った頃、作品の構想を練り直し、後一か月というところで作品の仕上げにかかる。
私は人間を表すインスタレーション作品(展示空間を含めて全体を作品とし、見ている観客がその[空間]にいて体験できる芸術作品のこと)を制作することにした。
二十五分の一に縮小した模型のようなものをいくつも設置した作品で、教科書でも習ったことのある風刺画のように、自分と親しい友人や、世の中の様々な人間関係を私なりの形に落とし込んで立体的に表現する。
両親の離婚や友人の死、恋人との関係から[ひと]について考え向き合うことの多い人生だった。学生として最後の作品は設計課題ではなく、情緒的な作品にしたい。学生時代最後の卒業制作を、ここまでの人生の節目として集大成にした。