【前回の記事を読む】毒親に育てられた娘…「お母さんの料理はおいしい?」に絶句
自己との出会い、そして唐突な別れ
自分の気持ち、意思を知ろうとするあがき
そこで、あるとき私は次のような話をした。本ばかり読む人は頭でっかちになりやすい、理屈でばかり考えるようになる、あなたはまさにそうだと思う、と。彼女は強い口調で反論した、本の悪口を言わないでください、と。私は、初めて本についてのあなたの気持ちを聞きました、と言って笑った。
彼女は自分も笑っていいかどうかとまどったようだったが、すぐに、本はわたしの先生で、友だちなんですと言った。わたしはつらいとき、本を読むことで何度も救われました、本のおかげで今のわたしがあるんです。そのとき彼女は、目に涙を浮かべて話していたが、それに気づかないまま本の大切さを話し続けていた。涙がこぼれ落ちそうになったとき、急にはっとしたように首をめぐらし、私を見つめた。私はただうなずいていた。私を見つめているうちに、涙がみるみるふくらんでポロっと零れ落ちた。
「あら、あたし……、涙? いやだ、なんで?」
〈それが素直なあなたの気持ちでしょう〉
「素直? これがそうですか? そうなの?」
それは、初めて彼女が怒りや悔しさ以外で見せた涙かもしれなかった。そのときの彼女の涙には、本のことを悪く言われたという悔しさよりも、本に対する愛情が溢れていた。その後、自分の気持ちを一つ一つ取り上げては泣き、泣いてはどうしたらよいか考え、といったことを繰り返すうちに、次第に彼女は、心の中の母親と自分が距離を取れるようになってきたのではないか、と感じ始めた。
自分の心を自分で吟味することは、セルフケアの始まりである。この人の場合、自分の心に沁みこんだ母親の影響に気づいていくプロセスがそれに当たる。その影響を排除し、自分で自分を守れるようになると、カウンセリングは必要なくなっていく。自分で自分の心のケアができるようになるからだ。
「彼とご飯を食べるときは、変に思われないか気になると前にお話ししましたよね。あれはたぶん母に、おまえの箸の持ち方は変だ、食べ方が卑しい、食事中に余計な口をきくなと、毎回毎回言われていたからだと思うんですぅ。そう思うと、そういうことが他にもある気がするんですぅ」
〈たとえば?〉
「たとえば……、たとえばお風呂に入るときに、体を洗ってから湯舟に入りなさいとか、排水口の髪の毛を拾いなさいとか……」
〈それは、お母さんでなくても、言う人はいるんじゃないかな……〉
「いえ、それで、母はおまえの身体は汚いからよく洗わなきゃだめだ、とか、おまえの髪の毛は汚いから排水口が詰まりやすいとか、言うんです。風呂に入るときだけじゃないんです」
〈それは……、それは嫌なことを言いますね。風呂に入るのがつらくなりそうだ〉
「でしょう、そうなんです、風呂に入るのが嫌でした。今も自分の身体が汚いような気がします。でもそれは、母がそう言っていただけですよね?」
〈自分ではどう思いますか?〉
「……きれいかって言われると困るけど、でも、汚くなんかないと思います。普通です!」
〈そうだと思いますよ。きっときれい好きでしょうから、普通よりきれいかもしれませんね〉
このように彼女は、自分の中の母親を、言葉にして一度外に出し、それを私と眺めることが少しできるようになったのである。こういった作業を続けながら、心の中から毒親を除いていけば、これまでの傷つきを自分で癒せるようになるのも遠くはないと感じた。