【前回の記事を読む】【小説】テストの点は良かったが…僕が「他人への興味」を失ったワケ
未来への手紙と風の女
誤解をされたくないと思う自分、誤解をされてもいいと思う自分、どちらも自分であることには違いない。時には、誤解されているときの自分が社会にとって、自分にとって都合のいい場合がある。そして、明らかに子供の頃の価値観と、今の、自分の価値観は、時代とともに大きく変わってきていた。社会が大きく変わってきたように変わってきた。
何が正しくて、何が間違っているのかわからない。そもそも、真面目に生きようとは思わないけれども、興味が湧くことには、魂が喜ぶので、このときだけは、真面目になっているのかもしれない。不謹慎で、誰かに心証を良くしろと言われているような錯覚を覚えたりもするが、誰のために心証を良くしなければならないのか。
とめどもない思考の渦の中で、僕は過去の自分遍歴を続けていた。いつ頃から僕は、真面目に生きるということに興味を失ったのだろうか? 真面目に生きていると思っていたのはいつの頃までだろうか? もしかしたら、小学校二年生で、真面目に生きるのをやめてしまったのかもしれない。
小学校二年生のときに書いた、“未来の自分へあてた手紙”には、真面目に生きたいと書いてあったのだろうか。小学校二年生で真面目に生きる、真面目に生きないなんてわかったのだろうか? いまもなお、わからないでいる自分の生き方、価値観の変化に僕はどう対処してきたのだろうか。
──君は、君自身に真面目すぎるんだよ。バーテンダーの友人はそういうことも言っていた。
真面目? 僕が? そんなはずはないよ。僕は真面目に生きるように強要されてきたけど、敬愛、向学、進取というように、真面目に生きるなんてできないと反発し、勉強という逃げ場の中に身を置いてしまっただけなんだ。勉強をしている自分、いつも机に向かっている一条寺君、それだけだったんだよ。僕はそのようなことを友人に言ったような気がする。
だが、寺子屋のようなこの学校は、今では好きだ。
──大学生ならそれでいいんだよ。僕は、ほら、大学をドロップアウトしてバーテンダーへの道に進んだだろ。真面目に勉強して、まともな就職先に進んで、出世して、周りから羨ましいと思われる、そんな生き方を早々と捨ててしまった僕には、君の真面目さがよくわかるんだよ。危うい心の均衡がいつ崩れるのか、それが心配だった。
だけど、バブルがはじけ、店が立ちゆかなくなって東京を離れて、阿蘇に移ってきてしまったから、君のことは見ていることができなかった。初めて、君がこの店に来てくれたとき、君の心の均衡が崩れていることに気づいたよ。
真面目であること、人の手本であろうとし続けて疲れてしまった君の心は、あの女性の幻影を追いかけていたんだよ。わかるかい、ほら、君がディスコの帰りに連れてきた女性の中で、君が心底ほれたあの女性だよ。
僕は、友人のその言葉を聞きながら、ああ、あのとき僕は恋をしていたんだ、ということに気づいた。うん、僕はあの女性には、真面目に向き合っていたよ、と返答したことを思い出した。
恋をするときには、真面目になる。真面目に恋をしない人間はいないだろう。人の温もりが欲しい、というこの感情は、AIにはわかるまい。“AI”か、うん? これは愛と読めないこともないが……。