ツーリング~田沢温泉~

曇天をついて、東に向かってひた走る。天気予報はあまりよくない。いつまで天気がもつか、それが気がかりだ。

この夏の前半はとても忙しくて、ちょっとゆっくりしたい気もあったのだが、やはり年に一度は体に思いっきり風を通さないと化石になってしまいそうになる。

とはいうものの、バイクにとって高速道路の長時間走行は、すごい風圧と騒音とシールドにへばりつく無数の虫の死骸以外の何物でもない。

我慢我慢の数時間を経て豊科インターチェンジで高速を降り、国道一四四号線を走る。適度なコーナーに身を任せ、ゆっくりと高度を上げていく。

やっとバイクで走っているという感じになってくる。青木峠を越え、やがて山間の田沢温泉に到着する。

素朴でこじんまりした温泉だ。ますや旅館は木造三階建ての古い風情のある旅館である。かつては島崎藤村もこの宿に滞在し、詩想を練ったそうだ。

黒光りした廊下や階段をぎしぎしと歩き、三階の六畳の部屋に案内される。障子を開け放つと、とても見晴らしがいい。

田舎の親戚の家に来ているような感じがする部屋だ。温泉でゆっくり手足を伸ばし、部屋に戻って柱にもたれて、見るともなしに外に目をやっていた。涼しい。

ウグイスの声、ぱたぱたと階下の廊下を走る小さな子の足音、少しずつせまる夕方の気配……なんともいえない懐かしさに包まれる。

頭の中と外の区別がふと無くなるような不思議な心地よさ。ずっと昔、子どもの頃の夏休みはこんな風であったような気がする。

昼間の明るさと夜の暗さと、その間にある何とも言えない薄明るい、あるいは薄暗い時間。

昼間の終わる心細さと夜が始まる期待の交錯する不思議な時間。

黄昏時。

子ども時間の終わり。今の子どもたちは、一日中同じ明るさ・同じ室温に設定された中にいて、こういうことを感じないままに毎日を過ごしているのだろうな。

つい、うとうとしたのだろうか、気がつけば部屋の中はずいぶん薄暗くなって、ちょうど夕食が運ばれてくるところだった。

時溶かす夏の夕べの田沢の湯