旅人
森はささやかな風を受けゆらゆらと揺れている。北から流れ込んでくるその風は、少しばかりの冷たさを感じさせるが、それは春の日差しに照らされた木々の間を縫っていくことで少しずつ暖まり、涼やかな風へと変わっていく。
風は木々の枝を優しく揺らす。すると、揺らされた枝々の若葉が互いに擦れ合い、葉ずれの音がさざ波のような音を立てる。
それは、静まりかえった森の静けさを埋め、優しく優雅な雰囲気を作り出していた。この森は昔から代々『怪しの森』と呼ばれ、人々が近寄ることがない森だ。
一見すると豊かな森で育った動物たちが住むこの場所は狩りのため、猟師たちがこの森に入っていてもおかしくはない豊かさがある。
それ故、この森は小さな一国がすっぽり入ってしまいそうなほどの大きさがある。そして、この森の全貌を知る者はただの一人もいない。
一度この森に入ってしまうと二度と出られないと言われるほどこの森は広く深い。そしてもう一つ、人々が決してこの森に近寄らない理由がある。
それは、この森に住み着く大きく、獰猛な獣だ。この森には妖魔が住み着いている。妖魔は豊かな森に住まう獣だ。
だが、その生態やなぜ、妖魔が生まれるのかを知る者はいない。ただ、人間がこの世界に存在する前から、妖魔は存在していた、という説もある。
太古から存在し、人間に猛威を振るう人界から隔絶された深い森の主として君臨し、そこを自らの縄張りとする。
妖魔は度々人里に降りては、人を襲うことがある。その度、里は妖魔によって破壊され、人々は苦しい生活を強いられてしまうことになる。
里を再建しようものなら再び妖魔がその里を襲う。そのため、妖魔が森に住み着いてしまうと、森の近隣にある里の人々はすぐさま移住することを余儀なくされるのだ。
そんな誰もが恐れる妖魔が住み着く森を何かの影が通りすぎていく。それは二頭の馬に跨がった二人の人影だった。