第一章 袴田一族のルーツ研究
『名字にみる静岡県民のルーツ研究』(静岡新聞社)の中で、私の名字である「袴田」が記されている。
[袴田]引佐郡都田村(浜松市)の名主家・袴田氏の祖という袴田五郎左衛門は橘氏流で、南朝方の河内楠木氏と由緒があるという。磐田郡二俣村(天竜市)の袴田氏の祖、袴田惣兵衛正親は同族といい、子孫に天竜川の水防に尽くした袴田喜長が出る。
現在の都田は浜松市北区都田町に、二俣は浜松市天竜区二俣町に改名されている。私の袴田家のお墓は、父・時男の代(昭和四十二年)に二俣の清瀧寺から分離し、静岡県駿東郡小山町の冨士霊園に移したのである。祖父・宗太郎が七男であったので分家の身であり、そのため清瀧寺の住職から私に「別の所にお墓を考えてもらいたい」と言われたからである。
二俣から離れても私の現住所である東京都三鷹市に比較的近い静岡県内にお墓を購入したい、という私の願いを父が受け入れたのだ。当書に触発された私は、袴田家の先祖が何か謎めいた歴史に縁がありそうだ、と予感したのである。そして袴田一族のルーツを知る上で、究明すべき五つの課題を思いついた。
第一に、都田村(浜松市)の名主家・袴田の祖という袴田五郎左衛門とは、どのような人物なのか?
第二に、南朝方の河内楠木氏と由緒があるというが、その真実は明らかにすることができるのか? 由緒とは、りっぱな歴史がある家柄のことである。
第三に、橘氏流であるとも当書に記されているが、橘氏と楠木氏とはどのような関係があるのか?
第四に、二俣村の袴田喜長の業績とはどのような内容であるのか?
第五に、同じ二俣出身の私の袴田家のルーツはどうなっているのか?
など、次々に究明すべき課題が湧いてきた。このような事由で、本書は既存の文献および資料を参照・引用し、可能な限り史実を正確に記すことに心掛けた。但し、数少ない史実の点を線にするため、推測を交えながら展開したので、偏見や史実と反する箇所があればご指摘願いたい。
一、袴田五郎左衛門とは
都田村(浜松市)の名主家・袴田の祖という袴田五郎左衛門とは、どういう人物なのか、を究明するために都田図書館を訪れた。そこで『都田村郷土誌』を閲覧した。
当書の中で「袴田八重吉氏の遠祖は楠木姓で、五郎左衛門(後に袴田姓)といって吉野朝時代、楠木家に由縁ありと伝えられているそうである」と、記されている。袴田一族のルーツを研究する本格的な足掛かりとなり、これは大発見である。この袴田八重吉氏の言い伝えを拠り所に、次に楠木氏と橘氏の出自を究明することにした。