最初に入院した病院に見舞いに来た際、弓恵は沙織に対して「結婚はさせてあげられないから」とまくしたてたらしい。
沙織はその理不尽な宣告に恐れと怒りで涙し、諭は激怒した。弓恵には病院へ来ないでほしい、と子どもたちを通じて伝えてあった。洸太からもきつく言われて彼女も今までは我慢していたようだが、諭の病がかなり重いと知って、「私からもお世話になったお礼を言いたい」と言い出したのだ。
布由子は「弓恵さんの気持ちもわかるけど、諭がダメと言っているのであれば、それを最優先させてあげて。弓恵さんの思いは伝えておきます」と返信すると、「わかりました。すみません。感謝しているとお伝えいただければ幸甚です」としおらしく引き下がったかと思えば、まもなく今度は電話がかかってきて涙声で訴え、メールと同じやり取りを繰り返した。
翌朝は沙織から電話があった。その頃養育費や住宅ローンの変更の交渉を女性の弁護士を立てて行い、交渉はあまり進んでいなかったが、その弁護士のところに弓恵が泣きついてきて、「私も諭さんのところへお見舞いに行きたい」と駄々をこねているというのだ。
弁護士から連絡を受け沙織も困っている。そして、「昨日は会長も来てくれて疲れたのか不安定になって、諭さんは子どもたちにも会いたくないと言っています。『なぜ急に来るようになったのか。俺はもうダメなのか』と夜中にぼろぼろ泣いていました」と布由子は沙織から聞かされた。
繊細に揺れ動く諭の心中を知って、布由子は衝撃を受けた。その日も子どもたちは病院へ行くと前日に聞いていたので、布由子は思案した挙句、洸太に電話した。
「お父さんはかなり神経質になっていて、誰とも面会したくないと言っているらしいの。人に会うと疲れるようだから、伯母さんもこれで一度帰るから、しばらくお見舞いは控えるようにしよう」
と説明すると洸太は了承した。子どもたちが行かなければ、弓恵も我慢してくれるだろう。布由子は洸太に電話した内容を沙織に伝えて、自身もその日は病院へ行かずに「ホテルをチェックアウトしたら陸のアパートへ泊まって様子を見よう」と思っていたら、沙織から「お姉さんはまた病院へ来てください」と連絡が来た。
子どもたちに会いたくないのに姉ならいいのか? と布由子は不思議な気がした。諭の心情がはかりかねる。離れて暮らしていたために子どもたちに弱みを見せたくないのだろうか。少なくとも布由子と陸の親子の関係性とは違うようだ。