「今年から一杯ずつになったそうだね」
常雄はそんなことには一向興味を示さず、
「あそこにお巡りがいるから大回りしてきたのだ」
洒落のつもりなのか、そう言って五十メートルほど離れた派出所らしい建物を指差した。
「よほど巡査が気に掛かるとみえるな」
「実はおれが無免許で軽自動車を乗り回していたら、あそこの巡査がおれの家まで注意しに来たのだ。それ以来、大っぴらにあの前を通れなくてな」
「その巡査は親切だよ。普通なら即、無免許運転で罰金だろ?」
「おれは警察を見ると頭に来るのだ。というのはおれがバーテンをやっていた頃、仕立て卸の、その頃流行っていた長い背広を着て歩いていたら、お巡りにちょいと来いと引っ張られてな。指名手配中の男に似ているというんで……。
おれは勤めていたバーにはでたらめの履歴書を書いておいたので、全然、話が合わないのさ。あの時はまいったな。警察ではおれのことを全然信じてくれんし、指紋は採られるし、おれはそこの派出所に問い合せてくれと言って、それが済むまで長い間、警察署に留められたんだ。
疑いは晴れたのでよかったが、兄貴にはお前がやくざみたいな格好でうろついているからこんなことになるのだとどやされるし、あれ以来、おれは警察を見ると腹がむかついてくるのだ」
二人が梨をかじりながらそんな話をしていると、一人の女が奥から店先に出て外の様子を窺うように二人を見た。明夫は直感的に常雄の母親だと分かった。
「お邪魔しています」
女はちょっと頭を下げて笑顔をつくると黙って奥に引っ込んだが、なにかおどおどしているようで幸せな生活を送ってきたとは見えなかった。
「ところで君はどうして家へ戻ってきたの」
「言わなかったか。親父が病気で店の仕入やなんか、兄貴一人ではできないからだよ。兄貴は町の方にもっと大きな店を持っているのでな」
「病気はひどいの」
「いや、そうでもない。難しい病気じゃないから多分治るだろう。治ったらもう少し金回りのいい仕事を始めたいのだがね……」
日傘を差した主婦らしい女が三人、店に入るのが見えた。一人は妊娠しているらしく、お腹が大きく膨れている。服装からみても農業をやっている者とは見えない。やはりこの辺りもサラリーマンが多くなったのだ。明夫の家の近くでも元はほとんど農家ばかりだったが、近頃では農業だけで生計を立てる専業農家は少なくなっている。とくに若い者はほとんど会社勤めだ。