【前回の記事を読む】徐々に世間の匂いを失う入院患者…新米医師が感じた「医療者」対「患者」の図式とは
Passengers ――過ぎ去りし人たちへのレクイエム
私は何の病気でしょうか?
私は詰所でカルテを開き、その日の血液検査結果を確認し、用紙を切り取り台紙に貼っていた。このような作業は医者の仕事ではないという同僚もおり、市中病院では看護師の仕事になっているが、私はそうは思わなかった。検査結果を見て貼り付けるという作業は確認という大事な意味があると信じていた。
しかし、単調な作業なので、お気に入りの看護師が一緒にいるとついつい話が弾はずんでしまうということもよくある。この日もそうだった。
話が途切れたところでふと男のことを思い出し、「ところで、さっき入院してきた人の主治医は誰?」と看護師に尋ねた。
「先生ですよ、ご存じなかったのですか?」
「えー、知らなかった。今、僕の患者さんは8人もいるのに」
その頃、主治医は助教授が決めていた。彼は自分が執刀医として手術を考えている患者は、自分の意思が反映しやすいように若い医者に当てるようにしていた。
15分後、私は男のベッドを訪れた。男はすでに病衣に着替えて、大きな体をベッドに横たえていた。私は自己紹介をし、自分が主治医であることを告げた。男はちょっと鋭い視線を向けてきた。目は「こんな若造が主治医か」と言っている。私は少し緊張し、でもできるだけ堂々として診察を終えた。
右肺の呼吸音は低下し、打診では右胸下部は濁音を呈していた。鎖骨上にリンパ節は触知しなかった。
診察が終わり立ち去ろうとした時、「いったい私は何の病気でしょうか?」と男は尋ねてきた。
「まだ何もわかっていません。これから検査を進めていきますが、まず明日の午後に胸の水を取って調べますね」と私は答えた。
先日外来で行った痰の細胞診でクラスⅤの腺癌細胞が見つかっており、クラスⅤは疑う余地のない結果だった。問題は胸水で、この中に悪性細胞が見つかると一般的に手術の適応はなくなり、予後も不良で平均約8カ月の余命と言われていた。