コロナ禍における日本の対応の不思議
コロナウイルスの流行が始まってから、人によって考え方・思考回路に大きな違いがある事に驚かされる様になってきた。このウイルスに対して楽観的な人、悲観的な人、論理的に議論できる人、感情的な会話しかできない、等々。
この現象は世界的に起こっている訳だが、日本のそれは海外とはかなり違いが有り、論理的な議論が少なく、近視眼的な議論が多い様に思える。それから大変感情的である。そして一番大きな違いとして、人生、または人の〝生〟や〝死〟に対する考え方に大きな違いがある様に見える。
そしてこのコロナ渦の対応を客観的に見ると、日本が抱えている問題を凝縮している様に見える。一つの例として欧米の先進国との比較において、日本で発表されている感染者数や死亡者数が欧米諸国よりも一桁または二桁も少ないのに、日本では大変悲観的に論じる人が多い。
そして医療体制の作り方にも大きな違いがある。日本の医療現場では、コロナウイルス対策に特別な対応は殆ど取っていないにも拘わらず、医療崩壊を連呼しているダケである。そして第5波では沢山の患者に自宅療養を強要し、不幸にも自宅で亡くなった人が沢山出てしまった。
そして8月には、ウイルスに感染した妊婦が早産の際に受け入れてくれる病院が見つからず、自宅で出産したが、生まれた子供が亡くなったとの痛ましい事故が起きた。また一般の国民向けのワクチン接種が始まった後になってからも、世界との議論の違いが鮮明である。