【前回の記事を読む】【小説】「やればできる。まだやってないだけ…」という幻想
壱
午後七時になり、母裕美が帰ってくる。裕美は、隣町の会社で経理のパートをしている。
父英介は、大企業に勤めているということではあるが、そんなに偉いわけではなく、サラリーマンとして毎日忙しく、いつも帰りが遅い。
家は戸建てだが、父の会社の借り上げということで古くて狭い。
経済的には、中流の中程度の、ごく普通の家庭である。
裕美は佑介を見て、「宿題はやったの」と聞く。
「すぐやるよ。だって、真理なんて帰ってもいないんだよ」と言いわけする。裕美が、「真理なら、電話があって、麻尾ちゃんちに行ってるけど、宿題はちゃんと先にやったから、ということだったわよ」、と伝えると、佑介、
「しまった、やられた」と言い、慌てて食卓で宿題を始める。
「やられたって、何よ。真理があなたを騙したみたいじゃない。あなたが勝手に都合のいいように考えてただけでしょ。帰ってから何してたの。まさかゲームしてたんじゃないでしょうね。ゲーム買う時の約束、忘れたんじゃないでしょうね。まず、宿題を先に終わらせてからゲームはやる約束だったわね」
正しいことばかりの理詰めの責任追及である。
「ちょっとゲームやったら、すぐに宿題やるつもりだったんだよ。宿題に取りかかるには、まずご褒美が必要なんだよ、それぐらい、分かるでしょう。『おもちべとべと』とか何とかって言うじゃない」
「何、勉強の前にお餅を食べたいの?」
「そうじゃなくて、ほら、もち、何とか」
「モチベーションでしょ、下手なギャグでごまかさないで。でも、それは先に大変なことをしてから、そのあとでもらえるからご褒美っていうのよ。先にもらっちゃったら、あとがつらいだけでしょ。前借って、大変なのよ。それで破産した人、何人も知ってるわよ。紹介しましょうか」
「何言ってんだよ。じゃあ、プロ野球の選手はどうなるの? 先に大金もらってるじゃない。みんな破産してるっていうの? ふん、だ」
「まったく、口だけは達者なんだから」
佑介、そこで、はたと気がつき、
「そういえば、サッカーシューズがボロボロになっちゃったから、新しいのを買って」
「この間買ったばかりでしょ」
「だって、もうボロボロで、走りにくいよ。転んじゃうよ。怪我したら、サッカー選手になれないから、契約金もらえないよ。モチベーションもらえないよ」
「あなたにプロのサッカー選手なんてなれるわけないから、そんな心配しなくて大丈夫」
「ほら、獅子谷家の家訓、夢を持てってやつ、あるじゃない」
「靴がなくても、夢は持てます」
「でも靴のせいで怪我したら、治療費かかるよ、靴よりお金かかるよ」
佑介も必死で食い下がる。
「ほんとに口が減らないわね。それにしても、最近、使い方が激しいようね、もっと大事に使えないのかしら。買いに行くのも大変なんだから」
「しかたないだろ、僕がチームを引っ張ってるんだから、いっぱい走んなきゃなんないんだよ」
「サッカーは靴がボロボロでもできるんじゃないの。この間見た映画で、そんなのがあったじゃない」
「中国のサッカー映画だろ。でも、あれ確か、靴が新しくなったら、すごいシュートしてたじゃないか。ぼくもあんなシュートできるかもしれないじゃないか。買ってよ」
「キーパーまで吹き飛ばしてた、あれね。あんなシュートして、人に怪我させたらかえってお金がかかるじゃない。だから、やっぱり駄目ね」
「あんなの映画だから、嘘に決まってるだろ」
「じゃあ、やっぱり靴のおかげですごいシュートができたわけじゃないのね。所詮、フィクションね」
「すごいシュートができるってとこまではホントなんだよ」
「そんな都合のいい解釈は駄目よ。とにかく、靴は関係ないし、もし靴のせいでシュートできないって言うなら、ヘディングでゴールすればいいでしょ」
「それじゃあ、頭がぼろぼろになっちゃうよ。その時は、頭、買ってくれるの」
「そうなったら、聞き分けのいい頭を買ってあげるわ」
「どうせなら、メシシの頭がいいな」
「何それ?」
「えっ、メシシ、知らないの。何度も世界最優秀選手に贈られる賞をとってる世界一の名選手」
「冗談よ。それにしても、ほんとに、頭だけ変えられるなんて思ってないでしょうね」
「えっ、蚊取りのCMで、おすもうさんの身体におじいさんの頭がついてるのあったじゃない。頭だけ付けられるんじゃないの」
「えっ、えーっ!」
「嘘だよ、うそ、本当にできるなんて思ってるわけないでしょ」
「昔、私のおじいさんが、オレンジジュースのCMをチンパンジーがやってて、これは絶対に人が入ってるんだ、って言い張ってたのを思い出したわ。その血を引いてるからね、あんたは」
「それなら、おじいちゃんは、見た目と本当とが違うって言ってたってことだから、蚊取りのCMの解釈も本当とは違うってことになって、おじいちゃんは正しかったってことになるよ。やっぱり僕は、正しい解釈ができる血を引いてるってことなんだね」
「なんだか、私の方がわけが分からなくなってしまったわ。本当に、頭がいいんだか、悪いんだか、この子は」