ふと思いふけっているうちに、何気なく書棚を見ると、『星座とギリシャ神話』の絵本が目に留まった。この本は、確か瑠衣が星座に関心を示した小学六年生のときに、父が「それなら」と言って買ってくれたものである。絵本といっても、内容はかなり本格的なものだった。瑠衣は自分の誕生日である十月十日が天秤座であることを思い出し、天秤座とギリシャ神話の由来を調べてみた。
絵本には天秤をかかえ持った善神の女神アストレアに対峙して、好奇心旺盛な女性であるパンドラの絵が描かれていた。パンドラが開けようとしている箱の中には、憎しみ、怒り、妬みや苦しみなど災いをもたらす塊がいっぱい詰まっていた。パンドラが瑠衣だとすれば、アストレアは女神だが父に置き換えてみた。アストレアである父が悪を取り除こうと奔走するが、パンドラが箱を開け地上にはどうしようもない災いが蔓延り、アストレアはとうとう絶望し見限って天上界に帰ってしまう。
坂東への憤りや怒りが詰まった箱、それを知った父は害悪の元凶である坂東に天罰を加え冥界に送ろうと必死になるのではないか。神話の世界では許されるのだろうが、心の底から瑠衣のことを思って育て、寄り添ってくれている父が悪者になってしまう。それでは父への背信行為になるのではないのかと憶測すると、瑠衣はいたたまれなくなった。
しかし、パンドラである瑠衣は箱を開けなければ、父には上滑りの奇麗ごとだけを並べて、単にフルートのスキルアップを図るため小島に教えてもらうことにしたと嘘をつくことになる。どちらに転んでも父の意図に反することになりやしまいか。ここは、父にことのすべてを告白し、裁断を仰ぐしか残された道がないのではないか。
その際には、父に瑠衣の内なる声をさらけ出し、どんなことになろうとも、あとは父に縋すがりつくことしか邪念を払う術がないと覚悟した。それでも、父と子の琴線に触れることは避けられないであろうことは、瑠衣は十分理解しているつもりだった。世間では「親子の絆ほど深くて強いものはない」と言われるが、ときとして些細なことで脆くも崩れ去ることを心して当たらねばならない。
気丈にならねばと瑠衣は思ったが、坂東から受けたレイプの傷を自分一人で癒すことは不可能であるとの絶望感から、瑠衣の全身は無気力感で包まれていた。何よりも自分の部屋を与えられて以降、どうしてだかわからないが、瑠衣は一人で寝る寂しさと父への切愛の気持ちが交錯していた。ここにきて日に日に募る父への愛念が抑えきれないことに、今回の出来事をきっかけで初めて気づかされた。「私、お父さんを好きなのかも……!?」と、瑠衣の欲動を突き動かす何かがいた。