LESSON.1【私たちはなぜ学校に行くのか?】
☆学校には何を学ぶかよりも重要なことがある?
唐突ですが、「なぜ学校に行くのか?」と子どもに聞かれたら何と答えますか?
私はこの問いに答えられる人はあまりいないのではないかと思っています。決して教育に携わっている方や子育て世代の方々を甘く見ているわけではないのですが、学校に行くことは当たり前すぎて、なぜ行くのかなんて考える機会すらないと思います。そもそも、こんな問いに答えようなんて思う人もあまりいないでしょう。
私はこういう即答できない問いや答えのない問いは、むしろウェルカムでワクワクします。どれくらいウェルカムかというと、給食で「うずらの卵あげるよ」と友だちに言われたときくらいウェルカムです。どれくらいワクワクかというと、自信のあるテストが返ってくるときくらいのワクワクです。
人生はさまざまな問いから学びや気づきを得てストーリーがつくられていくので、即答できない問いや答えのない問いから始まる「問いストーリー」が学びの基本となります。テストで点数をとることではなく、問いを考えることが学びの本質であると、1人でも多くの子どもたちに伝えたいと思っています。
さて、「なぜ学校に行くのか?」という問いに対する私の結論は、「何を学ぶかよりも、誰と学ぶかが重要だから学校に行く」です。
教科書の内容を学ぶだけであれば、ステイホームでも可能です。しかし、学びの本質を理解するためには、何を学ぶかよりも、誰と学ぶかに重点を置くことが大切なのです。現代の学校では、何を学ぶかだけが過剰にピックアップされている気がします。確かに道徳の時間とか総合的な学習の時間は必要なSDGsです。
すごく(S)大事な(D)学問(G)というわけです(s)。だから、教養として社会とか英語とか理科とかが大事だということもわかるのですが、本来の学ぶ目的は子どもたちに「考え抜く力」や「生き抜く力」を身に付けてもらいたいはずなのです。SDGsかどうかではないのです。
つまり、国語、数楽、理科、社会、英語の5教科にこだわる必要もないわけで、極論、学ぶ材料は何でもよいのです。伝統工芸でも、漫画でも、料理でも、アルティメットでも、ボッチャでも何でもよいわけです。漫画を通して考える力を、料理を通して生き抜く力を手に入れることもできるのです。学ぶ材料が何であっても、さまざまなことを身に付けることができるので、やはり差が出るのは「何を学ぶか」ではなく「誰と学ぶか」なのです。
差が出るのは(S)誰と(D)学習(G)するか(s)の1点だけです。私たちはその「誰」を求めて学校に行くのです。私たちが何を学ぶにしても1人では限界があります。仲間と対話をして、あーでもない、こーでもないと悩みながら、たくさんの気づきを得て、1人では辿り着けない所に皆で行く。これが学びの醍醐味です。
1人で行ける所にわざわざ皆で行く必要はありません。学校の授業も同じです。1人で解ける問題を皆で相談しても仕方がないので、1人ではなかなか辿り着けない問いを皆で考えていく「問いストーリー」(私は数楽会議と呼んでいます)こそが授業の醍醐味です。学びの質を高めるためにも、誰と学ぶかは本当に重要なのです。