【前回の記事を読む】「この世は人を使う者と、人に使われる者とで成り立っている」

騙しの美学

鬼塚は上機嫌だった。彼が〝オフィス〟と呼んでいる、その実月極めの貸事務所でこれも借り物の安楽椅子にそっくり返り、女たちを前に自説をぶち上げた。

「人を騙くらかすのに大したテクニックは要らないが要所を押さえることが肝心だ。先ず前もってしっかり準備すること。その場の思い付きや出たとこ勝負はこの世界では通用しない。人と会う時はいいものを身に付ける。特に時計と靴には金を掛ける。自信たっぷりに振る舞い、間違ってもおどおどしない。人間は誰しも欲を持っている。欲のない奴なんてこの世にいない。人の欲望をいかにうまく刺激してそいつを引っ張り出すかがコツだ」

女たちは彼のご高説をうやうやしく拝聴するといった態だった。彼はこの道には"泣き落とし型"、人の欲につけ込む〝欲望刺激型〟、そして"こけおどし型"と三通りあると言った。

三つは違って見えるが基本は一緒だ。

一つ目の〝泣き落とし型〟は一番よく知られている手口で、相手の息子や孫、或いは親戚に化けて会社の金を使い込んだとか、電車の網棚に忘れてしまったとか、泣き落として金を送金させる手だ。

この手口が効くのは子や孫や親戚が遠くに住んでいて普段交流があまりない老人相手のケースに限られる。

それでもこの種の事件が後を絶たないのは現代社会では家族の行き来が希薄になっており爺さん婆さんには遠くの孫の電話の声が本人のものであるかどうか分からないからだ。それだけに珍しい電話は老人には嬉しく、頼って貰ったことも嬉しくてつい騙される。それほど逆に言えば子や孫と離れて遠くに住む老人は寂しい日常を過ごしているのだ。

鬼塚は泣き落とし型はうまい商売に見えるが本当はそれほど効率のいい商売じゃないと言う。手間暇かけて人の手配や時間、場所の設定などの問題をクリアしなければならない。

うまく行っても協力者、いわゆる"受け子"や"出し子"に手間賃を払ったり、交通費や必要経費が生じる。イワシをタモですくい取るようなけち臭い仕事は俺の好みじゃない。

そうは言っても昨年度だけでも被害件数は全国で一万六八三六件、被害額は三〇一億五千万円、毎年の被害をこの十年間だけでも概算すれば五千億円にはなるだろう。やはり一番手っ取り早い騙しの手口である事に変わりはない。二つ目の欲望刺激型はたとえば世に言う還付金詐欺がその典型だ。

こうした小口の騙しでは大風呂敷を広げても魚は引っかからない。小風呂敷を広げてちょっとした心の隙をつく。電話で区役所からだが還付金があると持ちかけるが決して百万、二百万なんて言わない。一万四千二百円ですと言う。その方が本物らしく聞こえ、引っかかる。

携帯電話を持っているか尋ね、わざわざ役所に行かなくても直ぐ近くのコンビニで簡単に金が還付されると言う。コンビニの入金機は大抵狭くて見えにくい所にあり、銀行より目立たない。うまく婆さんをコンビニのATMに誘導出来たら仕事の半分は成功と言っていい。

こっちの言うままに機械を操作させる。釣ろうという魚に決して考える時間を与えないことが肝心だ。"思い込み"が成否のポイントだ。なるほどねぇと麻衣は感心したように相槌を打ち、そう、肝心なのはタイミングよねとうなずいた。