【前回の記事を読む】膨大な日本の歴史…国政のルーツは九州・中国地方にあり?
第一章 明治維新とは何だ
第二節 大日本帝国の国体と装備
第一項 日本国の時代の流れと為政者・権力者を知る
また読者には別件として、好き嫌いは個人の見識であるが、埼玉県日高市に「高麗神社」が祭祀されている事実だけは知りおくべき知識、案件であると思う。
李氏朝鮮王家と日本皇室の関わり合いについては詳細・情報は、筆者の知識の範囲を超える為、これ以上は語れない。そこでそれらの一族が今日の天皇家の血統との繋がりについて、推測はしておくがそれ以上は読者の関心に預けておきたい。
それでは話を神話と古代に戻す。神功皇后の三韓征伐まで遡り、朝鮮半島の紀元前の事情をみよう。そこから明治天皇の君臨する明治時代までに一気に辿り着ける読者には、流し読みでよく敬意を表したい。
ここでは神話を土台にして、古代(西暦二四〇年頃)の境界を跨ぐ話の中で筆者の学習では、「卑弥呼」はそれぞれの部族の女性シャーマン(祈祷師)であり、「卑」という名の巫女が全国各地に存在していたとみている。浅学者の未熟な了見と笑われても反論はしない。
卑弥呼説は各地に文献を残している。だからあちらこちらにいたのではないかと、見当している。それは筆者にとっては確信に近いが読者は如何様に思われるか。DX(デジタル・トランスフォーメイション)の力を借りれば前途はみえよう。
中国の学術会議の情報によると、魏志の倭人伝にある方角と距離表示は殆ど正確でない。「白髪三千丈」や「天馬千里を駆ける」にある如く例える事案がものすごいという表現のひとつであり、彼らが日本の地に詳しいかどうかの物差しはない。
これは「魏志の倭人伝」を中国の学者が解説をした学者集団の見識として、NHKが報道した内容である。この時に「韓浦」という地名が見られた。この半島に韓族という住居人がいた可能性は見られる。記紀に於ける話が全くの架空でないことのひとつにもなると筆者はささやかな感触を得た。
どちらにしても往時の中国大陸の文化は悠久の世界であろう。この時代の感覚ではアバウトな表現は日常であるといい、その文書に拘るべきではないと指導していた。その時、朝鮮半島の釜山近くの海岸に韓浦という記載があり、そこを再度確認されて、そこが韓族の一域であることは判明した。
三韓征伐の地域の一部であると筆者は確信した。しかしこれで日本の神話文献の古事記・日本書紀の精度が上がったと言うことではない。ここで今わかる範囲の知識で「韓族」の存在を読者と共に共有したい。