帰任命令
2015年夏、日本法人山田グループ株式会社の100%子会社である上海山田精機有限公司の日本人寮に、2年前から30代半ばの細身の男性が引っ越してきている。
彼の名は神岡浩二、日本の名門大学経済学部出身、大学を卒業した翌年に日本の公認会計士試験に合格するほどの優秀な学生だった。卒業後、大手監査法人で5年間監査経験を積んだあと、山田グループに転職した。
山田グループ株式会社は東京証券取引所第一部市場に上場している自動車部品の製造会社であり、日本の大手自動車メーカーの部品供給会社、いわゆるティアワンサプライヤーである。上場会社とはいえ、公認会計士資格を持つ人間はそんなに多くない。神岡は資格だけではなく、豊富な知識と実務経験、何よりも上司の指示を忠実に実行する組織人の素質があるため、あっという間に財務部の課長にまで昇進した。
しかし、神岡には昇進以外に、もう一つ望みがあった。それは、監査法人時代から憧れていた海外勤務である。そのために海外拠点の多い山田グループに転職した。人事部に数回海外勤務申請を出したが、上司はどうしても首を縦に振らなかった。粘り強く交渉をして、ようやく2013年に上海子会社の財務部長兼副総経理の辞令を受け、上海に赴任することができた。
「はあ、あと2ヵ月で日本に帰らされる」 と神岡はつぶやいた。
はっと気がつくと、すでにトイレの便座に1時間以上座っていた。当初中国赴任の辞令は3年間だった。それがまだ2年足らずで帰任命令が出たということは、どういうことか?
もしや、古川総経理が本社に何かクレームでもつけたのか?
それとも、部下に何か悪口でも言われたか?
いろいろと考えているうちに、また頭が痛くなってきた。
1ヵ前から頭痛に襲われるようになった。最初は中国の白酒(中国の強いお酒)を飲みすぎたせいかと思っていたが、頻度が増え、夜中に痛くて眠れない日が続いた。母の話によると、父も若い時に激しい頭痛に悩まされ、2年ほど仕事に行けなかったという。
「やはり働き過ぎたかな……」
神岡がそう考えていた時に、「ルー」 と携帯電話の着信音が鳴り響いた。神岡は急いでトイレを流し、部屋に入って電話を取った。
「もしもし、浩二?」妻の洋子からだ。
「ああ」神岡は妻の声を聞いて、少しほっとした。
「土曜日に家にいるなんて珍しいね!」と洋子は嬉しそうに言った。
「うん、今日は出勤じゃない」
そう言われてみれば、確かに神岡は上海に赴任してから2年弱、ほとんどの土曜日と日曜日を会社で過ごしていた。