【前回の記事を読む】ハンザ同盟・盟主の地、リューベックでみた赤レンガの教会

1998年11月7・8日(土・日) ピーターバラおよびイーリー紀行

-イースト・アングリア:イギリスの水郷地帯-

イーリー大聖堂もノルマン様式でガイド・ツアーに参加し八角形の主塔に登ることができ、夕焼け空の下に15マイル離れたケンブリッジも見えました。イーリー大聖堂はカンタベリー大聖堂に次ぐ中世イングランドの巡礼中心地で、イーリー博物館では大聖堂の来歴やtheFensと呼ばれる周辺の沼沢地の干拓の歴史の展示があります。周辺は中世まで沼沢地でイーリーはその中に浮かぶ島で、うなぎ(eel)がたくさん取れたところからイーリー(Ely)の名前がついたそうです。

また1642年からの清教徒革命(イギリスでは単に内乱と言います)の指導者クロムウェルはイースト・アングリア出身でイーリーにはクロムウェルの家博物館があります。チャールズ1世(在位1625年~1649年)はロンドンから逃げ出してイングランド北部のヨーク(10月に行ってきました)を王党派の根拠地にしましたが、ノリッジを中心とするイースト・アングリアはロンドンと並ぶ議会派の中心地でした。

日曜日にはイーリーからさらに北のキングスリンで半日観光しました。キングスリンは中世にはイースト・アングリアだけでなくイングランド有数の港町で、リューベック、ハンブルク、ブレーメン等のハンザ同盟都市とも盛んに交易していました。北海からウーズ川沿いに2マイルほど遡ったところにあるため近世以降の船舶の大型化に対応できず寂れましたが、いくつもの中世以来の貿易商人の家、倉庫が残っています。

キングスリンからイーリー、そしてケンブリッジまでは17世紀にオランダから導入した干拓技術により開発された農地で、泥炭層のため地盤沈下し今では海面下です。地の果てまで真っ平らで排水路水面が農地より高いのはオランダと同じ風景で面白く思いました。

最近の欧州は天候不順(この季節は天気が悪いのが通常ですから不順とは言わないのかもしれません)でしたが、先週末も一時晴れ間が覗きましたが曇り時々雨、特に最近は週末に限って天気が悪いような気がします。来週はリスボン、再来週はナポリと暖かい都市を予定しており南国の太陽を浴びられることを楽しみにしています。