【前回の記事を読む】昭和を代表する批評家・小林秀雄が見出した、「ボードレールの魔力」ところで、注意すべきは、このような“明証性”に関する事実上(・・・)の(・)定義(・・)は、文学作品に限らず、いわば経験則としてあまねく確立されていることである。これは、実は、ほかならぬその充足に関する判断の物差しが、本来、万人に備わっているということなのである。又、そうであればこそ、十分に反省された思考は、己の…
[連載]小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【最終回】西石垣 見治
孔子以来、東洋思想の伝統の根底を支配してきた「中庸」とは
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【第6回】西石垣 見治
昭和を代表する批評家・小林秀雄が見出した、「ボードレールの魔力」
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【第5回】西石垣 見治
小林秀雄が「科学への理性の貢献」を限定的に見ていた理由とは
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【第4回】西石垣 見治
デカルトが「明晰なる無知」の自覚を絶対に手放さなかった理由
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【第3回】西石垣 見治
アインシュタインが、カントの「世界の永遠の神秘はその了解可能性である」という認識の偉大さに、全面的な賛同を表明したワケ
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【第2回】西石垣 見治
ネット社会に警鐘…知識に巣食った「哲学的無知」の問題とは?
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評論『小林秀雄の思想 —より自由な人生のために—』【新連載】西石垣 見治
小林秀雄の批評作品は「難解」というよりも「平明」である。