【前回の記事を読む】父の死は事故ではなく自殺ではないか…拭えぬ娘の疑念のワケ

一闡提の輩

瑠衣は、こんなにも褒めてくれる坂東の言葉に舞い上がってしまい、自分で持ってきたチーズケーキに手を付けるのを忘れてしまっていた。

「瑠衣ちゃん、ケーキ食べなよ。ここのカマンベールチーズ、僕が大好きなのよく知っていたね。素朴な味だが、絶品だよ。とにかく、チーズの風味が独特なんだ。せっかく僕が挽いて淹れたコーヒー、冷めちゃったよ」と坂東にせかされ、慌てて瑠衣はコーヒーカップに手を伸ばした。

「先生には、いつも厳しくご指導いただき本当に感謝しております」と型通りの挨拶をし、お辞儀をしてコーヒーを少し口にした。

「瑠衣ちゃん、悪いけどこのチーズケーキなら僕ワインのほうがいいんだけど飲んでいい?」と言って立ち上がり、坂東は勝手にワイングラス二つとワインボトルを持ってきてテーブルの上に置いた。

「カマンベールチーズとフランス産赤ワインは相性がいいの知ってる?」と坂東は瑠衣に話しかけてきた。

「君も一緒に乾杯するかい?」と瑠衣の前に置いたグラスに、坂東は赤ワインを注ごうとした。

「先生、私は飲めませんので……」と瑠衣はグラスに手をやりふさいだが、「今日は祝杯だから、一緒に乾杯しよう」と坂東は瑠衣の手を優しく握ってグラスから離し、赤ワインをトクトクと音を立てながら注いだ。坂東は自分のグラスに赤ワインを少しだけ注ぎくゆらせながら、「うん、このワインは香りを聞くという言葉がぴったりだ」と悦に入っていた。

テイスティングを済ませた坂東は、「瑠衣ちゃん、本当は、お客に注ぐ前に自分で香りや舌触り、それから風味を確かめてからお客様のグラスに注ぐのが作法だが、君が遠慮するだろうと思って先回りしたのさ。とっても香りがいいから香道の作法のように聞いてごらん」といかにもワイン通のような素振りをした。

瑠衣は、坂東に自分の行動を見透かされているのではないかとの思いがしたが、ワイングラスを手に取って香りを楽しむ仕草をした。「瑠衣ちゃん、どう……?」と坂東は満足そうな顔をして確かめてきた。

「一口飲んで、唇を軽く閉じて舌をぐるぐる回しながらワインを喉の奥にゆっくりとコクを楽しむように含むとわかるから。そのうち鼻の奥から頭じゅうにいい香りが充満し、身体全体が浮き上がるような気分になるから騙されたと思って試してごらん」と坂東はワインの楽しみ方を伝授するような口ぶりで話した。

瑠衣は坂東に言われた通りワインを少し口に含み、確かめるように飲んだ。初めての経験であったが、いい香りとほどよいまろやかさが舌にまとわりつき、口の中いっぱいに広がるような芳醇な雰囲気に瑠衣は浸った。