【前回の記事を読む】「曖昧」の日本、「明確」の米国。文化の違いは優劣ではない!

曖昧文化

印象管理人は他の人が自分をどのように見ているのか気になるものである。

アメリカ人は多額のお金をダイエット、健康クラブ、化粧品、美容整形に費やしているといわれ、これらはすべて自分をより魅力的に見せるためのものである。他の人から良く見られれば、この世で生きていくうえでご利益りやくがあるだろうし、例えば、自分の望んでいる仕事を獲得するのに役立ち、組織内では好意的な評価や多額の昇給が得られ、より迅速な昇進が期待できるかもしれない。

良く見られれば、広い意味の利益りえきの配分において自分に有利な強い影響力を保持できるかもしれないのである。実質はもちろん大事であるが、形式も大切であり、お飾りでさえも意味がある。形式やお飾りは見た目であるが、見た目の影響力にうなずく人も少なくないだろう。

実質は人や物ごとの中身であるから大事であることは疑いがないが、残念ながら中身が他の人に理解されるには多くの時間を要するが、見た目は一瞬にして理解される。

例えば、一目ぼれで結婚したカップルでも時間がたつにつれて相手に幻滅することがあるのは、形式(見た目)と実質(中身)の関係をよく表している。幻滅したから離婚ということで離婚が増えているのかもしれないが、再婚してまた離婚という人もいるから中身というものは本当に分かりにくいものなのだろう。実質的に夫婦関係が破綻していても離婚しない夫婦がいるのは、逆に形式の重要性を表している。

仮面夫婦でも形式的には夫婦であるから世間体を保つことができる。別居して他のパートナーと実質的な夫婦生活を営んでいる場合でも、形式的な夫婦関係には勝てないこともあるだろう。また各種友好関係もうまくいかなくなると性急な人は友好関係を破棄すべきだと主張することがあるが、急ぐことはない。

関係が停滞していても破棄しない限り形式的な友好関係は保持されており、組織としては形式的なものでもないよりはましという判断もある。状況が変われば実質的な関係が復活するかもしれないのである。