【前回の記事を読む】囁かれて振り向くと、風と共に現れた不思議な女が立っていた
未来への手紙と風の女
右手に持っていた車のキーをイグニッションキーシリンダーに差し込み、回した。
ドドドッ、ブーン。
僕は、車のハードトップを取り外し、オープンカーにして、走り出した。
エンジンはお気に入りの、チューニングにしてある。
エキゾーストは低音を強調してある。最高の音を響かせる。
甲高い音は嫌いだ。腹の底に響いてくる低音でなければダメだ。
星は、運転席側の向こうに見える。海岸線をひた走る。
波の音が、海風の音が、車のエンジン音と同調する。
風の女は、気まぐれだ。現れない。
遠くで汽笛が鳴った。
海岸線は、しばらく続く。
ザー、ジャボーン。
バッシャーン、ザー。
ざーざー、ジャボーン。
交互に波が、寄せてきては、離れていく。
単調で甲高い波の音を支えるようにエンジン音が響く。
エキゾーストノートは、重厚な音を響かせる。
僕は、ハンドルを握りながら、この車の先には、どんな景色が見えるのかと思いながら、少し、スピードを上げた。
赤信号で止まった。すると、風が、止まる。先ほどまで、風を全身にあびながら、車を走らせていたのに、風の女は、僕の目の前に現れなかった。
赤信号の向こうにベンディングマシンが見えた。信号待ちをしながらそれを見ていると、急に、レモン炭酸水を飲みたくなった。
信号が青に変わる。僕は車をゆっくりとベンディングマシンに近づける。
車を降り、ベンディングマシンにコインを入れて、レモン炭酸水を選ぶ。
ガシャンと転がり出てきた。指先で缶のプルトップをあける。シュワッと音がする。
炭酸の音と缶をあけたときの音。
僕はそいつを手に、愛車に戻ってエンジンをかける。
──さあ、もうひとっ走り。
しばらくすると、車のエンジン音に何もかもが消された。向こうから走ってきた車のヘッドライトが、僕の頬を照らす。まるで、何かをフォーカスしているかのように。車のヘッドライトは、海の一点を照らしているかのようだ。
日常の光景をも変え、リフレクションしている。
──また、風が吹いた。
すると、風の女だ。僕の目の前に、現れた。スピードを上げた僕の車の前を、すべるように、風の女が行く。長い髪の毛がたなびいている。
一瞬、目の前から風の女が消えた。
──どこに行った?
目をこらす、僕の気づかぬうちに、風の女は、助手席に座っていた。
驚いて僕は車を止めていた。
海風が僕たちを包み込む。
ああ、そうか、車が作る風ではダメなのか、僕はそんなふうに思いながら風の女を眺めた。
風の女は、真っすぐ前を向きながら、こう呟いた。
──もうすぐ、社会が大きく変わるのよ。あなたは、そのままでいいわ。
その声に誘われるかのように僕は、助手席に座る風の女に視線を向けた。
風の女の横顔を見たのは、このときが初めてかもしれない。
風の女のストレートの黒髪が、海風に誘われ、海風になびく。
風の女はそれきり、何も言わない。僕は車のキーを回した。
エンジン音が辺りに響く、すると風が吹いた。風の女は消えた。