五感に訴える仕事 《三十二歳〜三十三歳》

早朝の掃除を終えた恭平は、手と顔を冷たい水で洗い白衣に着替えて盛付けを手伝う。レーンを流れる給食弁当の献立は、前年の献立をベースにして一カ月毎、短大を卒業して間も無い栄養士とベテランの調理師が話し合って決めていた。

その献立はマンネリ化しており、一カ月も食べ続けたら飽きてしまいそうだったが、調理の知識も技術も経験も持たぬ恭平は、為す術も無く傍観していた。

一連の朝の仕事を終えて事務所の時計を見ると、決まって八時三十分。東京でのサラリーマン時代は十時出勤だったから、(あぁ、まだ自宅のダイニングで新聞を読みながら、カフェオレを飲んでいる頃だな)未練がましい想いにとらわれ頰を膨らませていた。

白衣をコットンパンツとジャンパー姿に着替えての弁当配達は、丸の内のレストランでの「いらっしゃいませ」の沈んだ声とは異なり、「おはようございます」「ありがとうございます」の明るい挨拶が自然に出ることに、恭平は秘かに満足していた。

給食弁当の配達の合間に、店舗への商品や食材を卸して回る。殆どは直営の路面店だったが、一店舗だけデパートの地下に売り場があった。デパートのオープン直後にはギッシリと商品が並んだ二本の陳列ケースも、昼過ぎには隙間が目立ち、閉店前にはガラガラになり「五十円引き」「半額」の札が商品に貼られることに、恭平は複雑な思いを抱いていた。

お客の立場に立てば、開店時と閉店時の品揃いや価格に差が在るのは不親切だし、売り手から見れば、日持ちしない商品だけに売れ残りは全てロスになり採算に合わなかった。ふと、広告代理店勤務時代に担当したコンビニエンス・ストアなら、こんな悩みは消えるのになぁ! と、恭平は思案に暮れていた。