父が学費を払わないと言い出した。
「お母さんからも学費だけは払ってって頼んだんだけど、もしかすると払ってくれなくなるかもしれなくなった。里奈ちゃんから言ってみてくれない?」
離婚の際に父が学費を払わないと言っていたが、それは一度解決したことだ。その時の気分によって言動が変わる父に苛立ちを隠せず、私は母に当たってしまう。
「じゃあ私から言うから! もう切るね!」
私の心に不穏な空気がまた流れてきた。胸がざわつく。母が私に電話してくる事も、父の話題をだす事も虫唾が走るほどに嫌った。東京に来ればあの悪夢のような生活から逃れられると思っていた。でも母からの電話一本で引き戻されてしまう。
あの頃には戻りたくないという一心できつい口調になり、電話を切ってしまった。兄も私も出ていったあとの誰もいない家で、母は一人暮らしの寂しさや孤独を感じていたに違いない。私にはそんな母の話し相手になってあげられるほどの心の余裕はなかった。母を大事にしたいという思いと、母ごと苦い記憶を消し去りたいという思いが交錯して胸が苦しかった。
それを分かってくれていたのか、母は私がどんなに冷たくあしらっても責めることは一度もなかった。
父とは関わりたくないのだが、学費については自分の問題なので無視するわけにもいかず、この機会に思いのすべてをぶつける事にした。父が家族を壊したことや、どのくらい傷付き恨んできたのかも、長々とメールに書き連ねた。
後日、私が送った二倍ほどの量の謝罪文が送られてきた。実の娘が吐いた数々の耳が痛くなるような言葉に、父は一週間もご飯が喉を通らないほどショックを受けていたそうだ。学費の件は解決し、母にその旨を連絡すると安心していた。
これですべてを水に流したわけでも、心が晴れたわけでもなかったが、父に不満を吐き出せたことは大きな第一歩だった。どこからくるのか分からない不安が押し寄せてきては父の事で苛々し、一人で泣いて発散する。友人と一緒にいる時ですら正体不明の孤独感が襲ってくる。
きっとそれは父から始まって、家族との間にまで生じた軋轢が原因だ。時間がかかってもいい。私は乗り越えたかった。恵と駅近のカフェで待ち合わせていた私は、そのとき初めて家族の事や自分の事を互いに話した。