【前回の記事を読む】プロデューサーの独白「私は全共闘世代の最後の生き残りです」

婆須槃頭との再会

秋山も大の映画狂だった。一時は本気で映画監督になろうとしたこともある。今まで放送局のプロデューサーとして多くのドキュメンタリー番組やドラマを手掛けてきたが、その多くが日本を戦争加害者として捉えたもので、戦争相手国の責任性などついぞ描いたことはない。

それでも三島由紀夫の亡霊は付きまとっていった。秋山が放送局に入社して間もなくの平成の十八年頃、彼は私淑していた全共闘の先輩に誘われ三島の監督主演した映画「憂国」をDVDで観せられたことがある。

二・二六事件に連座しそこなった陸軍中尉とその新妻との情死(本人は割腹自殺)を描いたもの、と簡便に説明できるが、その意味はといえばとてつもなく難解である。「義」のために二人しての殉教、道行きではあるがそこに付帯していくのはエロティシズム、マゾヒズムの途方もない深みである。また歴史の大舞台から除外され、葬り去られた名もない人間の救済も意図されている。

この三十分にも満たない三島原作脚本監督主演の「憂国」を観てから秋山は己の歩んでいく道筋の危うさを感じだした。

三島を(あざけ)罵倒(ばとう)する先輩の言葉を聞き流しながら、悶々(もんもん)とする日々が続いた。やがて彼はペンネームを作り、映画評論を書き始めた。映画評論でも名を成し始めたころ、「マルト神群」に出会った。

そして特番で婆須槃頭出演を企画したのであった。

婆須槃頭はいつ日本にやってくるのだろうか。マスコミが固唾を呑んでいる時、私の事務所に電話がかかってきた。

「もしもし、笹野さんですか。私、婆須槃頭です。今、成田に着きました。これからまっすぐ放送局に向かいます。そこでお会いしましょう。プロデューサーの秋山さんにもよろしくと言っておいてください。それから映画監督の新藤さんにもよろしく」

一方的に喋ると電話は切れた。私はタクシーで放送局に急行した。