ヴォ・ル・ヴィコント城はパリ南東約40キロ、ルイ14世(在位1643年~1715年)の財務総監フゥケが建設した城館で、ヴェルサイユがヨーロッパ近世宮殿建築の模範とすると、ヴォ・ル・ヴィコント城は文字通りその原型と言えます。

ガイド・ブックにはルイ14世を招いた豪華絢爛たる祝宴に際し、城館の立派さ、金銀食器の贅沢さ、宴の派手やかさに国王が嫉妬立腹し、公金横領の廉でフゥケを逮捕投獄したと説明がありましたが、これはどうも俗説のようで城館での説明によると1661年摂政マゼラン枢機卿の死去後のルイ14世の親政開始に際してのマゼラン派の一掃と見せしめを狙ったルイ14世と後の財務総監コルベールの陰謀というのが真相のようです。

ただルイ14世がヴォ・ル・ヴィコント城の豪華さを面白く思わなかったのは確かなようで、フゥケが雇った建築家ル・ヴォ、装飾家ル・ブラン、庭園設計家ル・ノートル(注2)の3人をそのままヴェルサイユ宮殿の建築に当たらせました。

フランス革命時には、たまたま進歩的で領民に人気が高い貴族が領主だったため他の城館のような破壊略奪を免れ、17世紀ルイ14世時代様式の最もよく保存されている城館です。

ヴォ・ル・ヴコント城を観光しようと思った理由は1997年10月のロワール川お城巡りの時にフランス人ガイドさんから是非見てきなさいと勧められたからです。

ロワール川の城とは違い、均整の取れた建築設計と豪華な内装は近世宮殿建築の原型です。何より素晴らしいのは広大な庭園との調和です。

ル・ノートルによる庭園はフランス式庭園の嚆矢とも言われる物で、自然の起伏を生かしながら左右対称の均整の取れた庭園から眺める城館はヴェルサイユに比べ規模こそ劣りますが美しさでは決して負けません。

話は飛びますが、アレクサンドル・デュマの『三銃士』の主人公ダルタニャンは小説に書かれているほどの快傑ではなかったようですが、フゥケの逮捕には彼も立ち会っていたそうで、またフゥケが投獄されていた城塞には鉄仮面も同時に収容されており、フランスの歴史の中でも波瀾万丈の時代です。


注2:ル・ノートルはヴォ・ル・ヴィコント城とヴェルサイユ宮殿の庭園を手掛けただけでなく、ルーブル宮殿のすぐ隣に残るチュイルリー庭園や1999年5月に訪れたシャンティイ城の庭園も彼の作品です。