気がつくと正嗣はノアズアークのダンサーたちの化粧室のソファーの上に寝ていた。後頭部が冷たく感じたが、氷嚢で冷やされていたらしい。そこが店の化粧室だと分かったのは、その部屋が店の奥のトイレの手前にあり、トイレに行くたびに何度もカーテンをめくり覗いていた場所だったからだ。傍らではジョアンが心配そうに見つめていた。
「よかった。気がついた。大丈夫ですか」
正嗣は冷たく感じる後頭部に触れてみると、そこには大きなこぶができていた。どうやら喧嘩のとばっちりを食らい、飛来物が命中したらしい。壁にかかった時計を見ると五時半だった。
「二時間も眠っていたのか」
こぶを触りながら正嗣はそう言った。
「お客さんが投げたビールのボトルが当たったのよ。痛い」
「少し痛いかな。でも頭が痛いのはハングオーヴァー(二日酔い)のせいかなぁ。君は怪我してないかい」
ジョアンははにかみ笑いを浮かべうなずいた。
「水を一杯くれる」
「今持ってきます」と言ってジョアンはカーテンをめくり出ていった。入れ替わるようにそこへママがやって来た。
「お目覚めかい。頭大丈夫?」
「ええ、多分」
「マサを巻き込んじゃったわね」
「喧嘩していた客はどうしたの」
「ウチの用心棒につまみ出してもらったわ。店をちょっと壊されたんで修理代をがっぽりふんだくってやったわよ」
「喧嘩の原因は何なの」
「海軍兵がダンサーを何人も呼んでいたんで、別の客がこっちにも少し女を寄こせって言ったら、あんなやり合いになったのよ」
「大人気ない話ですね」
「結構酔っぱらっていたみたいだからね」
そこへジョアンがもどってきて、水の入ったグラスを正嗣に渡した。
「ありがとう、ジョアン」
ママがジョアンを手招きし何やら耳打ちした。ジョアンもママの言うことにうなずいている。
「マサ、もう店を閉めなきゃなんないんだけど、彼女の家で休んでいってくれる」
今度はママが意味ありげに正嗣の耳元でささやいた。
「あんたにお詫びしなきゃと思ってさ。あの子もあんたのこと気に入っているみたいだから、今日だけは大目に見るよ。色々と教えてあげて」
「何を教えるの。彼女まだ一四歳だよ」
「いずれウチでダンサーやってもらわなきゃなんないんだから」
ママは含み笑いを浮かべながら、「じゃあ、タクシー呼んどくから準備しといて」と言って出ていった。
すでに制服から黄色のTシャツとジーンズに着替えていたジョアンが正嗣の手を握った。小さな手だった。正嗣もジョアンのその小さな手を握り返した。そうしていると、不思議と気持ちが安らいだ。そうか、この子からはあの花と同じ匂いを感じるんだ。ソファーの前の小さなテーブルの上に正嗣があげたサンパギータのレイが半透明のビニール袋に入れられ置かれていた。