そして、昭和の初めにはるばる中国にまで行って神様の国を作ろうとした、
出口王仁三郎さんをご存知でしょうか?
このときの随行者の一人は、合気道の創始者、植芝盛平さんです。
彼らの話は奇想天外でとても面白いものがあります。
ピストルの弾が飛んでくるときには、先に赤い光が来るので、
それを除ければ、命が助かるとか、
大きな石を持ち上げるときに、「う」の言葉を使い持ち上げるのだ! と言うのです。
言葉の力で持ち上げるとか?
不思議なことがいっぱいありました。
その彼らが、信じていたのが国常立様という神様です。
そこでこのたび、国常立様のお力をお借りして、
この本を書かせていただくこととなりました。
さて、どんな物語が掘り起こされて、表に出てくるのでしょう。
それが「神秘の書」と言われる『古事記』と『日本書記』のことを「記紀」と呼ぶそうですので、神の隠し事、神秘の書を解くことになるのです。
ここからは、私と皆さんでこの二つの謎の書の神秘を解いていきましょう。
ただし私は、古代のスメラミコトが、天の鳥船に乗って世界中を治めていた! という空想的な話は好きではありません。ここからは現実的な解釈で解いていきたいと思います。
まず、海外の歴史から、事実があった内容を記紀に当てはめていく作業から始めます。
それは徐福です。
中国から二度に渡って来訪しています。二度目には、
徐福は、三千人の子供たちを連れて日本にやって来ています。そして中国では、日本の天皇は徐福のことだと言われています。
徐福は斉の国の皇太子であり、斉の国は、当時秦の王の配下に入った王国です。
そこで徐福が来訪したといわれる、紀元前二百年に起こった事実を、『古事記』に当てはめてみました。そうするとだいたい日本では「第十代崇神天皇」の時代です。徐福が日本にきて、崇神天皇になったのでしょうか?
しかし、現実的に中国の徐福が、いきなり来日してすぐに天皇になれるものでしょうか?
いや、なれないでしょう。
ただし、最近の研究では、「神武天皇」は架空の人物で、「崇神天皇」からが現実的な天皇の歴史だと書かれていますので、崇神天皇は、キーポイントになると思います。
記紀では、崇神天皇の時代、たくさんの人が疫病で死んでいるようです(国民の半分も?)。
崇神の崇の字は、気高い、うやまうという意味と、たたるという意味、二つの意味があるようです。
これ以上は、なかなか分からないので、次に進みます。