それらの症状は人前ではさらにひどくなった。小学校に入学した頃は、教室で授業を受け始めると、座っていても背中と腕が痙直して反り返り、身体全体がガタガタと揺れた。首は右に曲がり、顔の筋肉全体が引きつって変形し唇は曲がり、呼吸も苦しくなった。そうなると本を朗読することも、先生の質問に答えることも困難になった。
健一は症状の改善訓練のために、市内の別の小学校で行われている「ことばの教室」に、祖父に連れられて通った。また、右手の親指がカギ型に曲がってしまうのを防ぐために、親指の第一関節を切り取り、指を一本の棒状にしておいて、内側の筋肉も切断するという、東北の病院では前例のない手術をした。
そのうえ、頸の筋肉の異常な痙縮で頸椎が潰れて変形し神経が断絶してしまうのを防ぐために、頸の太い四本の筋肉を切る手術をした。また、自己催眠によって、精神的な緊張をとる訓練をし、神経内科医に相談して筋肉の緊張を和らげる薬の服用も始めた。
そして外部からの、特に人からの刺激に慣れるために、積極的に大勢の人が集まるセミナーや懇談会にも参加するようにした。中学生になると、周りからは無理だと思われた卓球クラブにも入り、身体を動かす努力もした。
そのおかげもあってか、他人からその変化は分からないようだったが、足首の痙直がとれて震えなくなったり、ひどい肩こりや筋肉痛が起こらなくなったりしていった。