1998年4月10〜13日(金〜月):ヨーロッパ歴史訪問記域外篇

-イスタンブール-2つの大陸に跨る都市-

イースター休暇を利用した今回のイスタンブール旅行には、ロンドン支店の友人から借りた塩野七生の『コンスタンティノープルの陥落』と中央公論新社の『世界の歴史-ビザンツとスラヴ』を持って行きました。

塩野七生の本は『ローマ人の物語』を読み続けていますが『コンスタンティノープルの陥落』も面白く、金曜日午後のイスタンブール到着後の夕方3時間かけて旧市街からトプカプ門で歩き、そこからマルマラ海(ボスポラス海峡とダーダネルス海峡との間の内海)に面したイェディクレ要塞までテオドシウス城壁沿いに歩いたのも作品の雰囲気を少しでも感じ取ろうとしたからです。

[写真2]トプカプ宮殿

地中海世界で最も堅固と言われた3重の城壁はさすがに一部崩れ、荒れ果てていましたが、それでも紀元413年の建設以来ペルシャ、アラブ、スラヴ、トルコの幾度もの攻撃を撥ね返し、1453年の陥落後500年以上経ってもなお原形を留めているのは感動的です。

土曜日は徒歩ツアーで考古学博物館、トプカプ宮殿、アヤソフィア大聖堂(ユスティニアヌス1世<在位527年~565年>が537年に築いた教会でコンスタンティノープル陥落後モスクに改造されましたが1923年のトルコ革命後博物館として公開されています)、ブルー・モスク、ローマ競馬場跡を回りました。

[写真3]アヤソフィア大聖堂

印象的だったのはトプカプ宮殿の歴代スルタンの着衣を陳列した衣装室(コンスタンティノープルを陥落させ東ローマ帝国を滅ぼしたメフメト2世<在位1444年~1446年、1451年~1481年>の服もあります)と宝物室(トプカプの宝剣、世界最大のエメラルド、86カラットのダイヤ、宝石をちりばめた玉座等)ですが、身びいきかもしれませんがロンドン塔のイギリス王室の宝物の方が一枚上です。

面白かったのはこの日のガイドさんが「ギリシャ人がトルコに対して対抗意識を燃やすのは、文化を含めた劣等感の表れだ」と言っていたことで、少なくとも近世まではトルコの方がヨーロッパに対し文化的にも生活水準でも優位に立っていたと主張していました。

昨年10月にギリシャに行きましたが容貌的にはギリシャ人と大きな違いがなく、彼も「現在のトルコ人はスラヴ人・ギリシャ人との混血が進んでおり、中央アジアの(純血)トルコ系民族とは違っている」と認めていました。