1998年4月4・5日(土・日)ウェールズ・ドライブ旅行記

-プリンス・オブ・ウェールズの叙任式:カーナーヴォン城-

 

家族が日本に帰り、週末を一人で寂しく過ごしたくなかったのと、先週からサマー・タイムになり8時過ぎまで明るくなったこともあり週末を利用して北ウェールズに行ってきました。

この地域の最大の観光ポイントはイギリス王室の王太子プリンス・オブ・ウェールズの叙任式が行われるカーナーヴォン城です。

プリンス・オブ・ウェールズの称号は、13世紀後半に全ウェールズを初めて統一し、イギリス国王からウェールズの支配者として認められたサウェインの称号でしたが、1283年のイギリス国王エドワード1世(在位1272年~1307年)のウェールズ征服後、1301年に王太子、後の国王エドワード2世(在位1307年~1327年)にその称号を授けて以来イギリス王室の王太子の称号になりました。

1911年のエドワード8世(在位1936年1月~12月、後のウィンザー公)、1969年のチャールズ王太子のプリンス・オブ・ウェールズとしての叙任式はこのカーナーヴォン城で行われました。

エドワード1世は征服後のウェールズの支配を固めるため、ほぼ一日の行程ごとに頑強な城と城壁で囲まれた町を築きましたが、その建設責任者はサヴォイア伯領から来た人でした。

サヴォイア伯領はフランス南東部、スイス西部、イタリア北西部を占め、2月・3月に観光したジュネーブ、リヨンおよび12月に出張したミラノはいずれもその領内にありました。

当時のイギリス国王はサヴォイア伯爵から臣従の礼を受けており、ウェールズ征服戦争にはサヴォイア伯領だけでなく同様に当時イギリス国王の領地だったフランス南西部の兵士も参加していました。

同じように、城に付属し城壁で囲まれた町はフランス南西部にも見られるそうで国民国家形成前のヨーロッパは意外と国際的だったことが分かります。

ちなみにエドワード1世は第7回十字軍(最後の十字軍)にも参加し、フランス語が第1言語だったそうです。