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  • マニラを訪れる人たち

三時頃一行がパグサンハンを出発しマニラのホテルへ向かうとの連絡があった。途中、トイレへ行きたがる団員がいたが、ガイドは極力マニラまで我慢してもらうようにしたそうだ。それはパグサンハンへ向かう途中に寄ったガソリンスタンドのトイレが不評だったためだ。

フィリピンのトイレは洋式だが、便座がない所が多いためだ。正嗣も便座のない便器を見ると座る気はしない。外出中にもよおした場合、少し我慢してでも近くの高級ホテルのトイレを目指したので、団員の気持ちがよく分かった。

ただマニラへ向かう途中で、どうしても我慢ができないと一人の団員から言われたので、やむなくガイドは草っ原にバスを止めたそうだ。そうしたら言い出した人に続き、二人の団員も飛び出していき、生い茂る草の陰で用を足したそうだ。更に市内に入ってもホテルまで我慢できないと言う人が何人かいたため、前日とは別の土産物屋に寄った。ほとんどの団員は買い物どころではなくトイレに直行し列をつくった。

ガイドも後からトイレに行ったが、トイレ内はものすごく臭かったそうだ。正嗣も後でガイドからその話を聞くと一瞬笑ってしまったが、この事態が尋常ではなかったことが想像できる。

五時頃正嗣がホテルに着くと、平瀬はすでにロビーにいた。フィリピン旅行から帰った客が稀にコレラに(かか)っているのが日本で分かってニュースになることを平瀬から聞いたが、今回もコレラが一番懸念された。コレラだったら団員に近づけないんじゃないかとも思ったが、日本とは対処法が違うのだろうか。

一行がホテルにもどると平瀬が手配していたドクターが団員全員の部屋を回り診察を行った。添乗員の鴨下も体調不良の客の世話に追われ憔悴しきった様子だった。翌日の成田での検疫検査に備え、腹痛を訴えた全団員の診断書をドクターに書いてもらった。

病名欄には"Acute Gastroenteritis"とあった。日本語では『急性胃腸炎』という意味のようだが、コレラではなかったので予定通り帰国できる目処が立った。

鴨下によると帰国後、保健所にも報告しなければならないだろうとのことで、平瀬は今回のツアー行程中に手配した全ての食事の英文メニューを鴨下に手渡した。

この日の午後六時の時点ではほとんどの団員の下痢や嘔吐の症状は治まっていた。夕食は『やまと』という和食レストランの個室で取ることになっていたが、大事を取りキャンセルされた。その代わり『やまと』でおにぎりを作ってもらいホテルに配達させ団員に配った。正嗣もジェフリーと一緒に団員の部屋を一通り回り、事態が落ち着いたことを確認した。最後に幹事役の小山内の部屋を訪ねた。