では、なぜ鉄錆びが残っていたのでしょうか?

炭素鋼は磁石にくっつきます。ひょっとしたら、ウエスで装置内面をふいた際に、静電気が発生して、鉄錆びが装置の内面に付着したのではないでしょうか? 静電気で付着した鉄錆びは、ウエスでいくらこすっても取り除くことはできません。その状態で、試運転に入ってしまったのです。

専門的になって恐縮ですが、晶析操作で結晶が析出する際には、エネルギー準位の低いところから析出します。エネルギー準位の低いところとは、例えば、装置内部の壁面といった箇所になります。そして、もし、鉄錆びが静電気で壁面に付着していたならば、その鉄錆びはまさに最もエネルギー準位の低い箇所に他なりません。

私は、このために、晶析操作で壁面の鉄錆びを中心に結晶が成長して析出したのではないかと考えました。そうすると、もう装置のなかには、鉄錆びは残っていないことも予想されます。すなわち、もしこの仮説が正しいならば、100%の確率ではありませんが、再度冷却しても鉄錆びは出てこないことが予想されるのです。

私は一か八か、「鉄錆びはもう残っていないかもしれない」という、この仮説に賭けることにしました。すなわち、錆び落としは行わず、もう一度冷却から晶析操作を開始するという二つ目の方法を選択することにしたのです。

長々と記載しましたが、以上が10分間のあいだに私が考えたことでした。

そして、10分後、私は全員に次の二つの指示を出したのです。

まず、空タンクまで液を移送する約1㎞の仮設配管を設置し、現在ある鉄錆び液を空タンクに移送すること。

そして、その後すぐに液を張り込んで冷却し、試運転を晶析操作から再開すること。

それから、配管仮設に2日、装置冷却に4日の計6日かかりました。その6日間の長かったことといったら、言葉では言い表しようがありません。私は心配で、6日間、ほとんど眠れませんでした。