1998年3月7・8日(土・日) リヨン紀行
-絹織物と、美食の町-
東京出張の帰途、監査業務のため木曜日・金曜日に立ち寄ったパリは雨模様でしたが、ロンドン監査室のスタッフから「TGVで2時間あまり南のリヨンは地中海性気候でパリとは違う」と言われ期待したのですが、土曜日は曇り、日曜日は雨のあいにくの天気でした。
それでも、フランスの田園地帯を走るTGVの車窓からは緑の牧場・農場が眺められ、3月ともなると冬枯れの木々も一部芽吹き始め、春の気配を感じさせます。
リヨンは先月観光したジュネーブの下流140キロのところにあり、レマン湖から西に流れ出すローヌ川とブルゴーニュ地方から南に向かって流れるソーヌ川の合流地点にある町で、古くから地中海と北ヨーロッパを結ぶ交通の要衝でした。
そのためもあり、ユリウス・カエサルによるガリア征服後は全ガリア部族による年1回の会盟の地と定められ、古代フランス (ガロ・ロマン)の中心地でした。現在ではパリ・マルセイユに次ぐフランス第3の都市ですが、マルセイユが工業・港湾都市であるのに対し、歴史的、文化的(フランス文化といえばフランス料理、リヨンは食通の町でもあります)重要性からはパリに次ぐ都市と言われています。
中学の世界地理の知識ではリヨンといえば絹織物の町ということになりますが、現在では産業構成に占める比率は大したことはないようです。
土曜日の朝はリヨン到着が9時50分、ホテルに荷物を置いてから観光案内所でオーディオ・テープ・ガイドを借り、ベルクール広場からノートルダム・ド・フルヴィエール寺院、フランス最大・最古のローマ劇場跡、ガロ・ロマン文化博物館、サン・ジャン大司教教会(ガリア最初の大司教座が置かれた教会)そして石畳の旧市街を歩き、テロー広場から市庁舎、国立オペラ劇場を回ってベルクール広場に帰ってきた時にはもう6時近くになっていました。
日曜日は雨で、市内散策は土曜日に済ませていましたので美術館・博物館巡りに1日費やしました。織物歴史博物館、リヨン美術館、リヨン歴史博物館、印刷・銀行博物館です。
リヨン美術館はパリのルーブル美術館に次ぐとの説明ですが、リヨンは何かにつけて「パリの次に……」の文句が多い都市ですが、中央集権のフランスでは何でもパリに集中しており、2番目以下は皆同じような物という気がします。ただ織物歴史博物館は、さすがに絹織物の町だけあって一見の価値はあります。
リヨンの絹織物はフランス王家の勅許による保護を受けヴェルサイユ宮殿等の内装に用いられただけでなく、欧州各国からの注文も受けました。フランス革命により一時衰退しましたが、ナポレオン1世(在位1804年~1814年、1815年)時代に再び隆盛を迎え、フォンテーヌブロー宮殿の内装はリヨンの絹織物で飾られているそうです。来週はパリの週末観光を予定していますので、時間が許せばフォンテンブロー宮殿観光に参加しその様子をご案内します。
追伸:先週日本に帰った時に先月のドレスデンおよびベルリン紀行でお話しした森鴎外の『舞姫』を買って読みました。文庫本で30ページあまりの小品ですが、漢文体で読みこなすのに苦労しました。たった100年前の小説ですが、言語の変化に驚かされました。