絆コンプレックス
※投稿者 人生彼女なしの三流大学卒 二四歳
僕の大好きなミュージシャンのアルバムに こんなサビの曲がある
「愛されて優しくなれて その優しさゆえにさらに愛されて 君と僕が そんな好循環を築けたのなら」(著作権の関係で 少しだけ意訳している)
〇〇さんは相変わらず いい歌詞を書いている(やはり著作権の関係で 名前を書けない)
しかしそれは裏を返せば 次のように言い換えることもできるだろう
「愛されなくて卑屈になって その卑屈さゆえにさらに愛されなくて孤独な人は そんな悪魔のサイクルに陥っている」
僕は相変わらず 救いのない詩ばかりを思い浮かべている
震災後の日本で 身近なコミュニティーとか 人と人とのつながりが 見直されるようになった 家族や恋人 友達 職場のチームワーク ご近所付き合い…… いわゆる「絆」ってやつだ
でも 世の中が「絆」の素晴らしさを強調すればするほど 僕は居心地が悪くなる
独身だし 人付き合いが苦手だし おまけに友達も少ないし…… そんな自分を振り返り 取り残された気持ちになる ワイドショーで芸能人が 出産の感動を叫べば叫ぶほど SNSでママタレが 育児の大変さとやりがいを発信すればするほど 子どもがいない
そもそもスタートラインにも立ってない自分に気付かされて惨めな気持ちになる
結婚記念日にサプライズを計画している 同じ部署の後輩
「プレゼントを何にしようかとか どこの店がいいかなとか マンネリにならないようにしないといけないとか 毎年この時期になると面倒臭いんすよ」ってぼやいている
僕もそんな風に愚痴ってみたい でも できない いいよな 愛されている人って
今日は四年前に亡くなった妻の命日
墓参りに行くからと 早退した同じ部署の先輩
「彼女と共に過ごした かけがえのない日々が 現在の私を支えている 仕事でくじけそうなときは 妻の言葉を思い出して 自分を奮い立たせるんだ」って美化している
僕もそんな風な美しい思い出がほしい
でも ほとんどない いいよな 愛されたことのある人って
出張帰り 地下鉄のシートに腰掛けたら 向かいの乗客が 全員スマホをいじっていた でも 僕にはその必要はない だって仕事以外に連絡なんて 滅多に来ないんだから
今日もまた 「絆の大切さ」を 社会が強調すればするほど 僕は どんどん肩身が狭くなっていくんだ