「まずは外泊ということで二、三日ためしてみてはどうでしょうか? その結果、自宅介護ということになれば、作業療法士が、環境調査をかねて一度、家にも伺うということで」
「はぁ、それはかまいませんが……」
ようやく私が気乗りしてないことに気付き、医師は言った。
「まあ、あなた一人が、無理に踏ん張ってもよくないでしょう」
「はぁ」
「無理強いではありませんから、奥さんの本意を、それとなく確認してください。今日はこのくらいで、決まったら声をかけてください」
記録係りの看護師と私を残して、さっさとゴマジオ先生は部屋を出て行った。
人工呼吸器を外すという「ウィーニング」テストも短時間であれば可能というところまで訓練してきた。京子の場合、一定期間ではあるが弱りながらも自発呼吸が機能している。おむつ替えを看護師二人で作業しているが、喉元から呼吸器のホースが外せるなら、私一人でも大便の処理が可能になる。排泄の後の処理も、温水で洗ってやることができる。
しかし、京子の自発呼吸が衰えていく中で、一人で短時間での排泄物の作業となる。その他に痰の吸引が夜中に三~四回ほど、生命維持装置のアラームの管理は二十四時間、いつとはなしに鳴る。果たして、私一人で看ることができるだろうか。
「早い時期の返事が必要ですよね」
私は机の上を片付けて帰ろうとしている、看護師に訊ねた。
「どちらでもいいんじゃないですか。先生もああ言ってますから、あまり気にされなくても」
「自宅介護をやめたら、何か弊害がありますか?」
「このまま入院ということでも、それはそれでかまわないんじゃないですか」
「そうですか。ありがとうございました」
もともと自宅介護を希望していたが、病院での様子を見ているうちに、どんどん一人での自宅介護に自信がなくなってしまった。苦しくとも京子に話さなければならない。
医師からの話の出る前に、すでに私が京子との家での生活を諦め始めていたという事実が、どうしても後ろめたさとして、心に残っていて辛かった。そのことを隠して、京子に判断をゆだねようとしている狡猾さが、自分に戸惑いをもたらしていた。
「モウイイヨ。ヤメテイイヨ。私ガ、不安ダカラ、ヤメル」
私に対する配慮なのか、京子はあっさりと答えた。私もそれ以上、触れることはしなかった。