私が文章を書く理由

私は小さいころから、父に対して殺意に近い気持ちを抱いて生きてきました。

今になって思うと、それほどに憎いのは、それ以上に愛されたかったからです。私がよい成績を取った日でも、なにか気に入らないことがあると、一転して怒り出す父でした。父は私がやりたいことも否定しました。将来の夢や自分の行動を、親にすべて否定されるのは、大変に生きづらいことです。

父への殺人を実行してしまったらどうなるのか、かなり小さいころに学習していましたので、大人になってなにか実績を残せるようになったら、認めてくれるだろうと思うことによって、自分の気持ちに蓋をしていました。

あのころの父の齢を迎えて思い当たるのは、自分にとって気に入らないものはとことん気に入らない、そりが合わない娘がよい成績を取ることさえ腹立たしい、だから口実を探して怒るということだったのでしょう。

要するに、父は自由奔放な私に嫉妬していたのです。私の幼少期はちょうど高度経済成長期と重なり、日本がとても元気なころでした。豊かになった社会で自由に振る舞える私に対し、父は自分の幼少期とのあまりの違いに、もはやついてこられなかったのです。

もちろん父にも、私が娘だという認識は当然あったわけですから、愛したくてもその方法がわからなかったのだろうと、現在は父の不器用さを少しかわいそうに思います。

父の死の間際に、本当の父親と娘の関係になれたように私は思いますが、結局、人生に対する価値観や感じ方は共有できないままでした。ここまで遠回りしてしまったのは、親子だからこそ感情むき出しの対立があり、お互いの価値観がぶつかり合ったからにほかなりません。

私が文章を書く理由は、誰かとつながりたいからです。そして、生きているのが自分一人ではないと信じたいからです。そう考えるのは、父との不本意で残念な関係があったからでしょう。

どんなメディアでも、そのときどきで感じたことを発信して、通じ合える人とコミュニケーションを取りたいのです。共感も否定も両方あっていいのです。そして、ともすると道を外れそうになる自分を、軌道修正しているのです。

なにかを思いつくと、誰かにいわずにはいられないのは、私の長所であり欠点でした。私は母に、父を殺したいと告白したことがあります。母には、

「あの人のほうがお前より絶対力が強いから、反対にやられてしまう」

といわれ、

「祖父が偉大な僧侶である家で殺人事件が起きたらどんなことになるか」

と、懇々と諭されました。一時の激情に駆られて、浅はかなことを実行しないで、本当によかったと思います。