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時が過ぎ、年を越して、大学は新年度を迎えた。私は四年生になった。
ある日、教授の急病で休講になり、暇が出来たので、本屋に行った。あてもなく文庫本のコーナーをぶらぶらしていると、コクトーの『恐るべき子供たち』があった。しかし私が持っているものと訳者が違う。
その訳者が画家であることに興味をそそられた私は、すぐにそれを買い、手に持ったまま、大学に引き返して学内のカフェに行った。そのドアを開けた途端、思いがけない人物を目にして、驚いて持っていた本を落としてしまった。
入ってすぐのテーブルに神﨑静真がいたのだ。文庫本を片手に開いて何か飲んでいる。本を落とした音を聞いて私の方を見た。
「あれ、なほ子さん、だっけ? コクトーなんて読むんだ。それ、東郷青児の訳だね」
静真は本を拾って私に渡しながら言った。
「どんなのなら読むと思ったの?」
(勝手に人の本の表紙を見ないでよ)
と少し腹を立てて、私は皮肉めいた口調で言った。
「自己啓発の本とか似合いそうじゃん」
言いながら静真は自分の隣の椅子を引いた。ここに座れ、ということらしい。私は更に腹が立った。
「読まないよそんなの。そういうあなたは何を読んでいるのよ」
私は立ったまま静真を見下ろして訊いた。
「阿房列車」
「……訊くんじゃなかった」
「酷いなあ」
静真は人懐っこく笑った。その笑顔のまま今度は、
「で、海人とはどんな感じ? あいつ、いい男でしょ?」
などと訊いてきたので、私はもう一度本を落としそうになった。そんな下世話な話題を振ってくるとは意外だった。
「海人さんと親しいの? 学部が違うでしょう?」
「ああ、いや、それほど親しくもないけど。君にはおすすめのタイプだよ。出世するし、性格もいい」
「おすすめされなくても、実は私達、卒業したらすぐ結婚することになってるの。いかさま占いが当たったわ、お陰様で」
「それはおめでとう。良かった。本当に似合いのカップルだよ」
私は半分嘘をついていた。海人のことは、結婚相手として第一候補だと思っているし、海人も私のことをそう思っている節がある。二人とも遊び相手を整理し始めたが、しかしはっきり「結婚」という話が出ているわけではない。だが私はどうしても今、言わずにはいられなかった。この春休みに、静真とニホが付き合っていることを知ったから……。