『こまち』は介護保険制度で謂う居宅介護支援事業所である。法とその運用が庶民の暮らしを歪めるのは今昔、東西変わらないが、この甚だ重要な制度は年々目に見えて劣化の一途で、見直しの度に改善されると期待した初心者は失望するばかりだが、生家で起業するにあたって都の担当者の思いがけない厚情を受けた。自宅で営業するには建物に厳格な条件が課せられる。
家主でもある室町淳 はその車椅子の都職員の激励を忘れまいと気を取り直しながら十年余を我ながらよく持ち堪 えた。狭い地元でもうこまちの室町で仕事ができる。そろそろ気儘な身分になりたい。生家だが、住んだのは一夜だけで、姓も変わって帰ってきたから、町内でも知る者はいない。暫くは空き家だった。
実父である宗近 はこの別宅で実母に三人の子を産ませた。長男は高校生の時にシンナーで死んでしまって、母親は不安定になって長女に気苦労を強いたらしい。実父には何か考えがあって、上と少し年の開いたおとんぼを一夜だけ実母と住まわせてから養女に出した。室町の養父母である。
土曜の午後だった。玄関脇のカースペースから門扉を入ると路地の片側は軽やかな早緑と葉擦れの疎林に木漏れ日が揺曳している。女主はずいぶん取り澄まして「ここなの」と疎林に向いて窓のある部屋に招じ入れる。書庫である。O製作所の書棚がきっちり収まっている。なるほど、最上段は省いて突っ支い棒が縦に通り、側面は壁との隙間に板切れを嵌めてあるが、杢目がきれいでウッドタイルの装飾にも見えた。どの棚も奥と手前に二重に本を詰め込んで
「やあ、本当 にすごい量だ」
「やっぱり重量オーバーだったかしら」
「これ全部、読んだの?」
「そんな訳ない」
廊下を挟んで向かいが書斎で、北と西の窓から薫風が流れてくる。簡素な、小さいテーブルと一人掛けソファが五脚。おとなしい油絵が二、三、四、隣の事務室? にも。
「いい部屋だね」
「そ? 仕事で相談室になっている。来てもらうより訪ねていく方が多いけれど。わたしの気の済むように、親たちが……うーん、身内が、思い切り気を遣ってくれた……建物が古くなっていたし」
「……その……複雑?」
……なんでそういう質問になるんだろう。表情も声も笑って
「シンプル、今はもう。家族は父とその連れとわたしだけ」
「……数が少なくたって、家族がいれば複雑さ」
「おお、生意気」
「本音が出たね。いいよ、あなただから」
木っ端の行く末が見たいなんて口実に決まっている。
「ここ、いいところだね。あなたに似合ってる」
「玄関から出なきゃ裏は林。森の中の一軒家。お茶、ここでいい? 庭がいいけど虫が凄い」
「ここがいい」