脈絡もなく思い出す。葉山高校に入学した後、良い子でいなければいけないという中学時代までの呪縛から、どうやって自分を解き放てばいいんだろうと思っていた。薄暗い校舎の階段で声をかけてくれた先輩マネージャーの沢村ヒトミの笑顔。ラグビー部のマネージャーなんて、空想したこともなかったのに、そこに一歩を踏み出してみた自分。
文化祭の前には、小さな出来事があった。文化祭に浮かれる部のメンバーと、全国大会予選を前にしてラグビーにのめり込みたいキャプテンの間に浮かび上がった亀裂。考えてみれば可愛らしいトラブルではあったのだけれど、先輩たちの、真剣な言葉と涙を突きつけられて、佑子たちの代のメンバーは逆に結束を固めたのだった。
自分たちで決めて、そして無限に繰り返したタックル練習。佑子も、そのメンバーの間を泣きながら走り回った。辛かったからじゃない。嬉しかったのだ。
ラグビー部も、バンドも、絶対手を抜かない。真面目であるはずの自分を裏切るわけにいかないから、勉強やピアノのレッスンにも、やっぱりきっちり向き合った。その数週間は、毎日ベッドに入るなりスイッチを切るように眠りに落ちていたな、と今も思う。現実にはもっと大変なことが、それからも待ち受けていたけれど。
そして、佑子のシャツの襟を揺らした初秋の風とともに、矢印がラグビー部そのものに向いた気がする。仲間とともに前に進む。そんな毎日が、今もいとおしくてならない。その一歩一歩は、とっても小さくても。
同世代の、佑子を含めて十五人のメンバーは、今から思えばみんな、いつも目の前の課題にアップアップしていたんだと分かる。でも、仲間のために、って、みんな信じていたから、迷いもなかったんだ。そういう時を過ごせたことに、佑子は感謝している。
彼らは、グラウンドが使えない日にはジョギングで葉山公園の海岸に向かった。その後を追って、ボロい部活共用の自転車のカゴにメディカルバッグや給水用具を満載して佑子も走った。裸足になって砂浜を踏みしめ、楕円球を抱えて走る仲間たち。
なぜ、その時間を信じることができたのだろう。なぜ、無邪気で無防備な笑顔を浮かべ
ることができたのだろう。でもそれは、とても幸福な瞬間でもあったのだ。
葉山の海岸からも、江の島や富士山が見えた。
今、大磯の海岸から江の島や富士山を見ている。