第1章 心構え
1.01の法則
ゼネコンの現場監督は、施工計画、管理、図面作図に品質記録作成と、とてつもなく業務が多い。普通にやっていれば労働時間も半端じゃない、労働基準法第36条に基づく、いわゆる「36協定」でも上限時間の定めがない職種だ。そんな現場監督の業務をこなすことは、毎日始発から終電まで働く根性があれば誰でもできるかもしれない。
しかし、残業しなくても大きな成果を生みだすスマートゼネコンマンになれば、終電で帰るという考えは不要だ。なぜなら、スマートゼネコンマンは、「1.01の法則」を知っているからだ。
1を365日積み重ねることを1.0の365乗と考えると、結果はもちろん1となる。これを普通の成果とした時、1.01を365乗すれば、約37.8と、何と30倍以上の成果が出る、という法則だ。正確な出典は不明だが、よく学習塾で用いられ、わずか1%でも自分の力を振り絞れという意味で、生徒に根性論を煽る使われ方をする。でも、スマートゼネコンマンは、少し捉え方が違う。
1.01の、この0.01、これを他人から借りるのだ。
他人の1%を借りるということは、その人の時間を借りるってことだ。1日の労働時間が8時間とすると、1%はおよそ5分。自分の業務のために、誰かに5分だけ手伝ってもらう。これがスマートゼネコンマンの「1.01」の法則だ。人間でなくても、機械でもAIでも何でもいい。自分のために働いてくれるなら、それが1.01になるのだ。
ここまで読んで、他力本願だなぁと思った人もいるかもしれない。「自分の力でやらないと成長しない」と言われて育ってきた人にとっては猛反発したくなる考え方だろう。でも、誰かに助けてもらうことの、いったい何がダメなのだろうか。ダメだとしたら、なぜダメなのだろうか。
人間、誰しも一人では生きていけないし、お互いに助け合いながら生きている。「おたがいさま」、「おかげさま」という言葉もある。
遠慮せずに誰かを頼り、そして自分も周りに力を貸す。みんなで協力した方が物事はうまくいくことの方がはるかに多い。ノルマに追われて同僚をライバル視していたり、成果に応じて報酬が決まるフルコミッションで働いている人たちにとってみれば甘い考えかもしれない。
でもそんな人たちでさえ─例えば、天才と呼ばれるイチロー選手のようなアスリートでさえ、引退会見では食事管理など支えてくれた妻への感謝を口にしているように、どんな人も誰かの力を借りて成功しているのだ。僕も、周りの現場監督と比べると、先輩社員や職人たちに手伝ってもらうことがかなり多かった。
僕がコンクリート工事を担当した時のことだ。
コンクリート工事は、コンクリートを運ぶ生コン業者、それを圧送する業者(通称:ポンプ屋)、圧送されたコンクリートを密実に施工する鳶土工、型枠大工、鉄筋工、設備工、左官工と、様々な業種の職人が関わる工事だ。
でも、それぞれの職人は、基本的に自社の仕事しかしない。契約単価が決まっているから、お金をもらえない仕事に手を奪われている余裕はないし、そもそもやる必要もない。でも、例えば高層ビルのコンクリート工事の場合、その階で工事が終わった後、別の階に移動してまたコンクリート工事をしないといけない場合がある。
その時などは、圧送するための配管(3メートルくらいある、結構重たい配管)を数十本単位で別の階まで運ばなければいけない。圧送の職人はせいぜい2~3人だ。工事規模によっては1人の時も多い。そんな何十本の配管を運ぶ作業を、たかだか2人程度の人間でやると当然時間がかかるから、運んでいる間は他の職人はやることがない。
確かにそこは貴重な休憩時間でもあるのだが、圧送の職人には休憩しているヒマなんてないし、2人でやるのを、5人6人でやれば半分以下の時間で済むのだから、全体として仕事が早く終わるはずだ。
僕の経験上、東北などの地方の現場では職人同士も顔なじみが多く、こういったシーンで助け合う傾向にあるのだが、都内の現場では、契約範囲じゃないからと言って黙って見ていることがほとんどだ(経験したことないけど、大阪などの都市圏も同じだと思う)。
それが、僕が担当していた工事の時は、誰よりも真っ先に僕が手伝うものだから、最初はボーっとしているだけの職人も、少しずつ手伝ってくれる職人の方が増えてくる。そうすると、手伝わない方が変な空気になるので、結果としてみんな手伝ってくれるようになってしまうのだ。
職人には怒られることも多かったけど、お互いに手伝い始めるとコミュニケーションが生まれ、現場の雰囲気もよくなる。15時の一服で、それまでほとんど会話のなかった、担当の違う職人同士がコーヒーをおごりあったりしているのを見ると、体が震えるほど嬉しかった。
こうやって色んな人から1%ずつ、時には5%も10%も力を借りていた僕は、それに比例するように成長していくことができた。
よくコンクリート工事では、生コンを発注した数量に対して、現場で実際に使った数量が少なく済んでしまうことがある。余った生コンは廃棄処分になるから、現場にとってみれば全くのムダ使いになってしまうので、上司からは必ず「生コンを余らせるな!」という命題が若手現場監督には与えられる。
この「生コンを余らせない」というスキルを習得するのは一筋縄ではいかない。計算能力、判断力はもちろんのこと、コンクリートの圧送作業に追われながら刻々と迫る、その日最後の生コン車手配のタイミングを計らなければいけない。5分でも間違えれば、現場に生コン車が到達する時間が遅れて残業になってしまうことがあり、職人から大クレームが来る。
たった5分早く発注していれば17 時で帰れたかもしれないものを、そのせいで18時まで残業になってしまっては怒る気持ちもわかる。そんなプレッシャーとの戦いも乗り越えなければいけないからだ。やることがたくさんある上に、制限時間が迫ってくる状況では、何かひとつの作業に集中することができないのは本人の能力のせいではないだろう。
多くの若手ゼネコンマンはこの複数の業務処理が行えず、気づいたら生コンの発注数量を誤ってしまうのだ。しかし、これも僕は、ほとんど余らせたことがない。なぜなら、各持ち場の職人が協力してくれるため、僕は生コンの残量の計算に集中できた。最後の発注手配をかけるための、最適な環境が整っていたのだ。
ここで注意してほしいのは、誰かの力を借りることに遠慮する必要はないけど、力を貸してくれるかどうかは、相手が決めるってことだ。
コンクリートの配管をみんなに運んでもらうことも、もし僕が口頭で「やれ!」と指示するだけでは絶対に誰も動いてくれなかった。僕が率先して動き、誰よりも作業服を汚してアピールする(本当にあえて汚していたのがバレた時は呆れられた)ものだから、可哀想に思えてきたのだろう。
優しい職人が手伝ってくれ始めたのだ。たった5分くらい、そんなに頑張らなくても誰か手伝ってくれるだろうし、むしろそんなに頑張らないと手伝ってもらえないくらいなら1%自分でやった方が楽だ、と思う人もいるだろう。
確かに、わずか1%でも誰かの力を借りることだって、自分の力を振り絞らないとできない。誰だって、嫌いな奴を手伝いたくないだろうから、力を借りるってことは、その人にある程度好かれていないと難しい。誰かに好かれるよう努力をするのは相当大変なものだと思う。
人たらしの才能があったり、強いカリスマ性がある人は別として、僕や若手のゼネコンマンみたいな普通の人間は、泥臭い作戦で行くしかない。
でも、一度うまく回り始めたら、その先は指数関数的に成果が伸び始めることは僕の体験で実証済だ。損して得をとる、とは少し違うかもしれないが、スマートゼネコンマンになるためには、ある一定期間の泥臭い経験も必要かもしれない。