一乗寺下り松 ―武蔵よ もうちょっと生きてみるか

2、一乗寺下り松

総掛りで討たねばならない

吉岡道場筆頭植田良平がいう

必ず武蔵を殺さねばならない

きれいごとを言うべきではない手段を選んではならない

立会人はいない誰も見ているものはない

当主吉岡清十郎を廃人にされ弟の伝七郎殿も斃され

我々はもう元には戻れない

武蔵を乗り越えないと先へ進めない

残された一門の手で討ち取るしかない

奮い立った吉岡衆がついに仇討ちを果した

吉岡道場健在なりと宣言するのだ

武蔵の首は五条大橋に晒してやるのだ

一乗寺下り松

仇討ちの熱が群れている

一門の存在理由を自らの存在理由として

傘松の根方の陣に仇討名目人清十郎の子又七郎を据え

筆頭の植田良平多賀谷彦造らがこれを取り囲むように固めている

吉岡十剣の東紅四郎 田村十蔵 堀川善兵衛 小橋蔵人らは下り松に集まる三叉路

叡山雲母坂からの道 修学院の道 瓜生山からの道筋に七つの群れをつくり

焚火を囲んでいる 放ってある下見はまだ武蔵の姿を捉えていない

月光が巨大な傘型を黒々と浮き立たせている 寅の刻前である

武蔵はすでに来ていた

南禅寺裏山の杣道から夜の山に入った

地獄谷に降り再び谷の南斜面を上って

検分してあった瓜生山中腹の樹林を移動しつつ山麓にひろがる

七つの焚火を囲む布陣を視認している

七人を中心に

七十二人か

これは果し合いとはいえない

待っているのは嬲り殺しのための群れ

そこに跳びこんでいくのは単なる無謀

仮に回避しても評判を落とすこともない

京ですでに名を挙げ武名は広がっている

いまさら仇討ちの一党と戦うまでもない

敗れたらすべてが終わる

無駄死にで終わる

それでも行くのか

行かねばならないのか

しょうがない

やってみなきゃわからない

死んでみなきゃわからない

答えが無限にあるにちがいない

この好奇心を無駄にはできない

勝算はないのか

不敵な笑みが浮かぶ

理知において勝算はない

ただそのとき理知の計算を離れ

自分を突き放したところへ飛び込んで

自分自身の運命を見出し生死の水際に自分自身の発見と創造を賭ける

結果が生であろうと死であろうとそれ以外に生存の理由のある筈もない

消えるのか現れるのか消えることで現れるのか

その生死の水際を生きるしか生き方を知らない

知る必要もない

信長も家康もそうではなかったのか

人間五十年化転の内をと敦盛を舞い死のうは一定しのび草には何をしようぞと

小唄を謡い信長はどうみても勝てる見込みのない桶狭間に突っ走ったではないか

三十一歳の家康は好戦的な家臣たちにさえ誰一人主戦論がないのを押し切って

圧倒的な武田信玄勢の待つ三方ヶ原に撃って出たではないか

信長との同盟というぼろ縄であえて己の理知を縛り

突き放されたところに己を放り込んで自己の発見と創造を賭けたではないか

(そして大敗北を喫したがそんなことはどうでもいいことだ)

総じて茶道に大事の習いという事なし

みな自己の作意機転にて習いなきを台子の極意とすると

利休は一切の伝統や権威や習わしを否定して おなじ論理で政権を打ち立てた/p>

秀吉の体制や文化も数寄の茶の不断の自己否定による革命の例外ではないぞと嘯ぶき

傲然と自刃したではないか

しょうがない

これがオレだから

生きていくことには死ぬことも含まれているのだから

自分が死ぬことになってもそれはそれでしょうがない

ただ理知の計算が及ばない絶体絶命の場で

このイノチがどんな答えを出すのか

どんな直観に満たされるのか

そのとき一個の生がどのように巨大な生の反照を受けるのか 

我が身の生死を賭けて確かめたいと思う

足利将軍家兵法指南所吉岡道場御一党

死ヌ場所ハ生キル場所

我コトニ於イテ後悔セズ

武蔵は来るのか

一門には疑念もある

逃げたのではないか

来るとしても遅れてくるのではないか

これまで二度とも法外に遅れてきて利を占めている

もうその手には乗らない 焚火に手足を温めておけ

夜明けにはまだ間がある どのみち全員で立合うのだ

だが武蔵はもうそこにいた

吉岡一門がくる前からそこにいた

瓜生山樹林から麓に展開する群れの背を見ていた

七組に分かれている群れの一人一人を見つめていた

その一対一の間合いを測っていた